ふと目に着いたのは深い赤色のリボンが印象的な紺色のブレザーだった。章治の家から江罵羅商業に行く通学路の途中にある普通高校の制服だ。タイミングよく鳴ったメッセンジャーアプリの通知音におしゃべりを楽しむ女子生徒から目をそらし、スマホの画面を確かめる。そこにある「」の名前に無意識に和らぐ表情に気づける二人の親友はここにいない。

 とつき合うようになってもうすぐ半年がたとうとしている。中学を卒業し、高校に進学してからもともと少なかった会う時間はさらに減ってしまった分、こうして連絡を取る頻度はあがっていた。

 はそのことに、何の不満ももらさない。

 そのことに何となく不満を覚えてしまうのはどうしてだろう? 

 とのやりとりは本当に他愛のないものばかりで、「おはよう」や「おやすみ」のあいさつとか、が親友だという女子と一緒に撮った写真とか、それに返すように章治が送った仁や正人がふざけている写真ばかりだ。
 そういう他愛のないやり取りでも、の穏やかで控えめな笑顔が浮かぶようだった。

 「何してますか?」の問いかけに「帰るとこ」と返す。「アラ高の制服見かけた」とつづけて送ると、「リボン可愛いですよね」とうれしそうな返事が届いた。の志望校だ。前に少しだけ聞いたことがある。どうしてその高校を第一志望にしたのか、は話さなかったが、もしかしたらバラ商に近いからかもしれないと章治は思っていた。

 視線を上げればいつの間にかアラ高の制服はいなくなっていた。

***

 の志望校の制服を見かけたとわざわざ教えてくれた章治に、は少しひやりとした。しかも見かけたのが帰り道だというのだからなおさらだ。
 中学三年になり、志望校のことを考えた時、は自分の学力にあっていて、家から通いやすく、それなりに進学が意識できるところならどこでもいいと思っていた。そんな中でアラ高を選んだのは――もちろんそれらの条件にも当てはまってはいたが――が通う中学の学区からバラ商に行く途中にあったからだ。

 もしかしたら、高校への行き帰りで章治に会えるかもしれない……。

 章治が中学を卒業し、もともとつき合っているという割にそれほどよく会っていたわけではないがますます直接会う機会は減っていた。はもちろんそれをさみしく思っていたし、本音を言えばもっと章治と会いたかったが、それを直接彼に言う勇気はなかった。
 そもそも、どうして章治が自分の告白に「いいよ」と言ってくれたのか半年ほどたった今でもわからないのだ。
 会いたいなんて言ったら、面倒に思われるかも……その上、章治に会いたくてアラ高を志望していると知られたら……きっと、重たいと思われてフラれてしまう……。

 会えないことはさみしかったが、こうしてメッセージのやり取りをしているだけだっては十分にしあわせだったし、このささやかだが大切な繋がりをなくしたくはなかった。
 もっとも、章治はのことを好きで「いいよ」と言ったわけではないから――何しろ告白を受けた後で名前を聞かれたのだ――今すぐにでも「別れる」と言われるかもしれない。でもそうならない限りは、できるだけ長くこの関係をつづけていたいのだ。

 途切れたメッセージ画面に時折視線を向けながら、は帰り道をとぼとぼと歩いた。同じ塾に通っている友人たちはみんな帰る方向がばらばらで、静かな帰路はますます気持ちを落ち込ませていくような気がした。

?」

 少しずつ下を向いていくの背中にかけられた声に、思わず肩が跳ね上がる。

 パッと振り返ると、がしていたようにスマホを片手に持った章治がそこに立っていた。

「さ、鮫岡先輩……!」
「……久しぶり」
「は、はい」
「何かの帰り?」
「塾の……」

 目の前に章治がいる。本当にこうして直接会うのは久しぶりだ。

「そっか」

 「送る」と言った章治に驚いて瞬きを一つ返すと、少しやわらいだ表情が見えた。

「近所だからってこんな時間に一人でふらふら歩いてるなよ」

 視線に促されて歩き出すと、章治はの歩調に合わせてとなりを歩いてくれた。久しぶりに感じるその距離感に緊張し、それでもうれしくて、何度も何度も章治の横顔を見上げてしまう。

「どうした?」
「えっ! あの……うれしくて……」

 ぽつりと漏れた本音に少しの不安を覚え、は視線を下げた。

「先輩に会えて……」

 ほんの少し勇気を振り絞って落とした声は、歩いているつま先に蹴とばされてどこかに転がって行ってしまった気がした。

「あんま会えなかったもんな」

 となりを歩く音が止まり、もつられて止まって顔を上げるといつもと変わらない表情で章治がを見つめていた。不安で眉が下がってしまうのは、もうどうしようもなかった。

「塾の日って、いつもこの時間?」
「はい」
「どこの塾行ってるんだ?」
「大通りの、バス停の――
「ちょっと行ったところに、公園あるとこ?」
「はい、そこです」
「じゃあ、そこで待ってて」
「えっ?」
「塾の日、迎えに行くから」
「でも、迷惑じゃ……」
「何で?」

 聞き返されると、どう答えていいかわからない。何となく、そう思ってしまうのだ。

「……俺もに会いたいから」
「先輩……」
「迷惑か?」

 大きく首を横に振ると、章治がふと微笑んだ。頬に集まった熱がそこを赤く染めるのが、きっとよく見えただろう。「塾の日は連絡しろよ」とそう言ってまたの歩調に合わせて歩きはじめた章治を追いかけるように、もまた歩き出したのだった。

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