「似合ってる」
いつもの公園で錆びついたブランコに座った章治がほんの少し口元をやわらげながらそう言った。が着ているのは真新しい制服だ。
この春、は無事に志望校に入学した。高校受験のために通っていた塾の帰り、章治と待ち合わせした公園で、塾がない日もは章治と顔を合わせるようになっていた。錆びついた古いブランコに座って、その日にあったことを中心に何でもない、他愛のないおしゃべりをする。さすがに受験シーズンから卒業までは忙しく、会う時間が減っていたためこうしてが高校の制服を着て会うのは今日がはじめてだった。
「あ、ありがとうございます……」
しわなんてほとんどないのにスカートを伸ばしながらは頬を赤らめた。そのまま章治のとなりのブランコに座ろうとすると、直前での好きな大きな手がの腕をつかんで止めた。
「汚れるぞ」
立ち上がった章治は自然なしぐさでそのままの手をやわらかく握った。
「先輩?」
「何か食いに行かねぇ? おごる。入学祝い」
「えっ」
「外で飯食うとまずいか?」
は首を振った。まだ夕食の支度はしていないはずだ。連絡をすれば問題はない。
「大丈夫です」
「じゃあ、行くか。食いたいものある?」
「えっと――」
握られた手は当たり前のようにそのままで、頬の熱さは引くことはなく、は遠慮がちにその大好きな大きな手を握り返した。
近くのファミレスで向かい合って座り、ドリンクバーをちょっとずつ飲みながら、はできるだけ章治と一緒にいる時間を長引かせたいと思っていた。食べている間も食べ終わった後も、決してつづかない会話を二人はぽつりぽつりとつづけている。
のはじめたばかりの高校生活は、章治の送る高校生活と全く違っていて、二人には相変わらず共通の話題のようなものがない。それでもは章治と一緒にいられるだけでうれしかったし、章治もまた、普段から聞き役のことが多いからか沈黙が多いとの時間を苦には思わなかった。
「デザートとか食わねぇの? 甘いものキライ?」
「好きですけど、もうお腹いっぱいで……」
「あれだけで?」
少し驚いたように章治は言った。たしかに章治と比べたらの食べる量は少なかった。むしろ、章治が見た目よりたくさん食べるのでの方が驚いてしまったくらいだ。
「小さいもんな、」
「そっ……そんなことないです。ちょっと身長も伸びたんですよ」
「そうか?」
フッと笑った章治の悪戯っぽい瞳のきらめきに、は頬を赤らめた。そんなの姿をもう少し見ていたいと章治も思った。
「先輩はたくさん食べてましたね」
「普通だろ」
実際、仁と正人も同じくらい食べる。
「デザートも食べるんですか?」
「どうするかな」
立てかけてあったメニューを手に取り、章治はつぶやいた。デザートもいいが、何かサイドメニューを追加した気もした。もっとも、の分もおごるつもりなので財布の中身は考えないといけないが。
「甘いもの、平気なんですね」
「むしろ好きな方」
「苦手そうに見えます」
「だから甘さ控えめだったのか?」
「えっ」
「バレンタイン」
「は、はい」
そうかなというイメージで作った。ちゃんと食べて、覚えていてくれたことがうれしくて、ははにかんだ。
「デザート、何がいい?」
「えっ?」
「ひと口くらいなら食べられるだろ」
「でも先輩、ポテトも見てましたよね」
「デザートで終わっとく」
「……あの、わたし、やっぱり自分の分」
「入学祝いだって言っただろ。気にすんな」
「ほら」とメニューを差し出され、は遠慮がちにそれを受け取った。
「それより、時間、大丈夫か?」
「はい」
二人で決めたデザートを頼めば、章治といる時間がまた少し長くなる――次はいつ会えるのだろう? が中学だった頃のようにあの公園で過ごす時間はあるのだろうか?
「どうした?」
「あ――あの、先輩」
「ん?」
「その……次はいつ、会えるかなって思って……」
「いつでもいいけど」
うつむいたの表情に少しの不安が浮かんでいることに気づいて、章治はじっとを見つめた。いつでもいい――それは本当だ。ただ、の生活のリズムと、章治のそれとはきっと違う。連絡を取って、会う約束でもしない限り、中学の時とは違って顔を合わせる機会はほとんどないだろう。
「は、部活とかやんの?」
「特にやる予定はないです」
「バイトは?」
「ちょっとやろうかなって……」
まだ決まってはいなかった。何となくスマホで時間と今日の日付を眺めながら章治は考えた。
「明日」
「え?」
「朝、何時?」
「学校行くのですか?」
「ああ」
章治は必ずしも朝から学校に行くわけではなかったが、たとえば週に一回くらいはそういう日があってもいいと思った。
「学校行く前、あの公園で会うか」
たとえば今日は火曜日だから、これから毎週水曜日の朝、会うようにすればいい。それにの帰りが遅くなる日も、迎えに行けばいい。
ぱちりと瞬きしたの表情から不安は薄れたのを見ると、胸の奥がかゆくなった気がした。不快な感覚ではなかったが、それがどういう気持ちなのか章治にはよくわからなかった。
「また、連絡する」
ただ、そう言った時にパッと笑ったを見て、緩みそうになる口元と同じ感情のような気がした。