くるくると回る彼女は羽根みたいだ。ミュージアムのフロア全体を見下ろしながら蒼太は思った。
彼女はボウケンジャーとは何の関係もない、ただ、この博物館で働く学芸員だった。肩書きだけは自分と同じだ。
少し前からここで働き始めた彼女に、この場所で働く他の女の子と同じように声をかけたのはまさに初日だった。
緊張で頬を赤らめて、それでも溢れんばかりの笑顔で声をかけた蒼太に挨拶を返した彼女は、まさか自分がナンパされたなんて思いもしなかったのだろう。
苦笑いを漏らしながら「よろしく」と返して以来、蒼太はよく彼女に声をかけるようになった。なんとなく放っておけない、妹みたいなタイプだと思いながら。
そのはずだったんだけどなあ……さっきまで見つめていた相手、が昼休憩に入るのを見計らって蒼太は彼女の元に向かっていた。
「ちゃん」
くると振り返ったは、声の持ち主にぱっと笑顔を向けた。
「最上さん」
「今からお昼? よかったら一緒にどうかな?」
「最上さんも休憩なんですか?」
「まあね」
休憩も何もない。さらりと嘘をつき、蒼太はにっこりとほほ笑んだ。「それなら」とが了承してくれたことに胸をなでおろせば、あとは突然任務が入らないことを祈るばかりだ。
とはいえ、にとっては単なる休憩だからどこかおしゃれな店に―― というわけにはいかなかった。敷地内にあるレストランで、雰囲気くらいはと思って選んだ見晴らしのいい明るい席に向かい合って座る。
は太陽の下、いや、青空の下がよく似合う。可もなく不可もない味の食事を口に運びながら、蒼太はさりげなくの様子を観察していた。
染めたことがなさそうな綺麗な黒髪が、太陽の光を透かして少しだけ金茶色に輝いていた。他愛のないの言葉に相槌をうっていると、時折彼女が顔を上げて八重歯を覗かせてくれる。
「ねえ、ちゃん」
「はい?」
「いや、僕が誘うといつもお昼付き合ってくれるけど、どうしてかなと思ってさ」
「うーん……仲のいい子は、お昼の時間が違ったりするので……」
「その穴埋め?」
「えっ? あ、いや、そんなつもりじゃ……」
ちょっとからかうとすぐに顔を真っ赤にするのが可愛い。
「彼氏とかは?」
「それが最近別れたばっかりで」
「どうして?」と聞きそうになった口をぱくりと閉じた。
「最上さんはどうなんですか?」
「僕?」
「彼女とかいるんじゃないですか?」
「いないよ」
空っぽになったお皿に使っていたフォークを置く。
「そうなんですか?」
「意外?」
「はい」
任務が忙しすぎて本命なんて。強いて言うなら“冒険”かな? そんなことを考えて、まるでチーフみたいだと内心で苦笑した。
「ちゃんに彼氏がいたってことの方が意外だな」
「それってひどくないですか?」
冗談だとわかっているからは声を立てて笑う。つい最近までこの笑顔が他の誰かに向けられていたのだ。この笑顔より、もっと明るくて可愛い笑顔が。
「わたしだって、ちょーっとくらいモテますよ?」
蒼太より遅れて昼食を食べ終わったが箸をおいた。ちょっとだけ胸を張る彼女が可愛らしく、ちょっとだけ恨めしい。
たとえ“ちょっとだけ”だとしてもモテないでほしい。少なくともこうして昼休憩を共に過ごすことくらい続けていきたいから。
「最上さんこそ、どうしてわたしをご飯に誘ってくれるんですか?」
「他にかわいい子、いっぱいいるのに」そう続けたににこりと笑って見せる。確かに見た目が可愛い子は他にもいる。
「目につくからかな」
「わたし、そんなに目立ってます?」
「そうじゃなくて、ほっとけないってこと」
だからつい様子を見に来てしまう。見つけると目が離せなくて、放っておけなくて、こうして会話の場を作ろうとする。
きっとこの感情は恋愛に近いものだという自覚があった。でもそれをわざわざ知らせようとは思わないし、この関係から一歩進みたいとも思っていない。
時計を見上げれば、そろそろの休憩が終わりそうだった。「そろそろ行こうか」と告げての分の食器も持ち席を立つと、彼女が慌てたようにそれに続いた。
最上さんは本当にわたしのことをどう思っているんだろうか……? 自分が食べ終わった食器を取り返すことができずに、は黙って蒼太の後ろをついていくしかなかった。
最初に声をかけられたときは優しい先輩が声をかけてくれたくらいにしか思わなかったが、後から彼が女の子には誰だってああして声をかけているのだと知った。つまり、ナンパだ。しかしその一方でしつこくつきまとうわけではなく、誰にでもある程度の距離をあける。昼休憩を狙って声をかけているのが自分だけだと気づいたとき、は自分が彼を意識しているのだと気づいた。
放っておけないってどういうことだろう?
危なっかしいということだろうか。蒼太はいつも優しい笑顔を向けてくれるが、その真意は読み取れない。
カウンターに食器を返す蒼太の背中を見つめながら、彼が何かヒントを残していないかは必死で考えた。彼とこうして話せるのは、彼が声をかけてくれた時だけだ。それもそうしょっちゅうじゃないから、次がいつになるかわからない。
蒼太との距離を縮めたくても連絡先すら知らなくて、にはいつも待たなければいけないことがもどかしくてしかたなかった。前に何度か連絡先を聞いてみたことがあったがそのたびにうまい具合にはぐらかされ、教えたくないのだと身を染みてわかっている。
「ちゃん」
歩きながら、蒼太が隣に並んだ。
「しばらく彼氏は作らないでね」
いつもの笑顔だ。間抜けな顔で蒼太を見上げたは思わず立ち止まってしまった。顔が、熱い。それって、どういう意味なのだろう?
「さすがに彼氏がいると、2人でお昼も誘いにくいからさ」
付け足された言葉はまた真意を隠した。は蒼太を追い越した。
「ちゃん?」
「別れたばっかりですから、しばらくそういう予定はありません」
とってつけた理由だ。蒼太のことが好きなのに。くるりと振り返ったは少し距離があいた蒼太の顔を見上げた。でも蒼太は何を言っても、連絡先を教えてくれるわけではないし、お昼以外に会おうとは言ってくれない。やっぱり自分は待つしかないのだ。
「蒼太さん」
いつもとは違う笑顔で、初めて呼ばれた自分の名前に蒼太は言葉を詰まらせた。
「また、ご飯誘ってくださいね」
羽根のようにふわりと向きをかえ、は去っていく。その背中に「またね」と返した言葉はきっと届いていない。