「!」
今日は少し早目に帰途に着けたから、同じように早く帰れそうだと言っていたブラントのために夕食の支度をしておこうとスーパーに寄ったのだ。ブラントに料理を作ってあげることも、家で一緒に夕食をとることも少ないから彼が喜んでくれたらと思って。
それなのに……
聞こえなかったふりをして、スーパーで買ったばかりの商品がつまった袋をしっかりと抱えた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! だろ!?」
スーパーの店員が着けているエプロンをした眼鏡の男をは知っていた。以前付き合っていたことがある―― つまり、元カレ、だ。
がしりと腕を掴まれてしまえば、は振り返るしかなかった。
飼い主に会えた子犬みたいな顔がを見上げている。
「ひ、久しぶり!」
「ロニー……」
「まさかこんなところで会えるなんて! 引っ越したのかい?」
「えーっと……そんなところ」
勤務中ならすぐに別れてもうあのスーパーに近づかなければいいと思ったのに、再会を果たした元カレはあろうことかの制止を聞かずに早退し、荷物を抱えたについてきてしまった。
「荷物を持つよ」という申し出はなんとか断り、の腕にはブラントの為に買った食材のつまった袋が抱えられている。
「働き始めたんだ。まだパートタイムだけど」
「そうね、頑張ってるみたいで安心した」
ロニーはが付き合ってきた男の中ではかなりマシな方だった。とはいえ、付き合っていたころは仕事をしていなかったし、の収入に甘え切って働こうという気持ちさえ持っていなかった。それなのに2人の将来のことばかり夢を広げ、さすがにも我慢の限界に達して別れたのだ。
明るく、夢見がちなところは変わっていない。
そこはロニーのいいところでもあり、友人としてならも再会を喜んだだろう。でも、そうはいかないことは想像できた。
「接客業はボクに向いているみたいなんだ。このまま頑張って続けて、家族を養うくらいきっちり稼いでみせるよ」
急に立ち止まったロニーに、そのまま走って逃げたい衝動をはぐっとこらえた。
「連絡を取ろうと思っていたんだ。このタイミングで君と再会できるなんて……、運命だと思わないかい?」
「……悪いけど…ロニー、わたし、婚約しているの」
「プロポーズは今してるだろ?」
「そうじゃなくて」
疲れがを襲った。
「今、付き合っている彼と結婚するの。彼と一緒に暮らしてるの。ロニー、あなたはいい人だし嫌いじゃないけどそんなこと言われても困る」
「……怒ってるのかい?」
ロニーは不安そうにを見た。
「そんなこと……」
「わかってる。ここまで来るのに時間がかかったし、君を待たせてしまったからね。怒るのも無理はないよ」
何なんだ……この男は……。
頭痛がした。目の前の男はさもと親しい仲ですと言わんばかりの態度で―― しかも悪気がなさそうなところが扱いに困る―― の隣に立っていた。
帰途についたところでから助けを求めるメールが来てかけつけたが、状況がよくわからない。はすっかり疲れ切っていて、目の前の男が彼女が以前付き合ったことがある男だとだけ小声で説明をした。
「ロニー……」
以前確かに付き合っていたはずなのに、にはこの男の頭の中がさっぱりわからなかった。何度説明してもはっきり「今もこれからもよりを戻す気はない」と告げてもどうしてかロニーにはさっぱり通じない。が彼からのプロポーズを待ちくたびれて怒っているのだと思い込み、の口から出る言葉を完全にいいようにとらえていた。
「紹介するわ……ウィルよ。わたしの婚約者」
荷物を持っていない方の手でしっかりとブラントの腕をつかみ、しかし声は力なくは告げた。
「……、そこまでムキにならなくても」
少し焦った声音でロニーは言った。しかしその焦りはが怒っている―― と彼は思いこんでいた―― ことに対する焦りだ。
「つまり」
なんとなく状況を察し、ブラントは腕を掴むの手はそのままにロニーに視線を向けた。
「君がの元カレで、よりを戻したいと思っているわけか……」
「元カレって……まあ、確かにそうだけど、はボクのために別れるって言ったわけだし」
「……何?」
「ボクも反省して今は働き始めた。だからこうして―― 」
「付き合ってる間も“あなたのために”働いてって何度も言ったわ……」
「それは……とにかく、今はちゃんとしてる! 君が怒る理由はもうないんだ!」
の手を取らんばかりの勢いと笑顔でロニーは宣言した。からしてみれば付き合っている間にちゃんとしてほしかったのに。
この状況にうんざりしている気持ちもあるだろうが、それに混ざった悲しみにブラントは気づいていた。悪い男ではなかったのだろう。だから余計に困っているのかもしれない。
「ロニー、“今は”わたしはウィルが好きなの。あなたのことも確かにあの時好きだったけど、彼と出会う前だった」
「ボクと再会する前の話じゃないか。、今度こそ君を幸せにするよ」
「僕以上に」
ブラントは口を開いた。
「を幸せにできる人間はいない」
は思わずブラントの腕を掴んでいた手を離した。しかし、同じ体温が今度はしっかりとのその手を掴んだのだった。
疲れた……。
呆然としたロニーに背を向けて、2人は真っ直ぐ足早に落ち着く我が家に帰って来た。
口にはしなかったが、お互いに同じことを思いながらとブラントはすぐソファに倒れこんだ。夕食の準備をする気にもならない。でも、お腹は減っている。
「……冷凍庫に何かあったよな?」
「うん……ピザが」
のろのろと2人は立ち上がり、冷凍庫を調べ、取り出したピザをレンジに放り込んだ。その間にせめて野菜くらいはとレタスをちぎりミニトマトとコーンを入れて簡単なサラダを作る。冷えてないけれど、しょうがない。
「何か、映画とかやってない?」
「さあ……」
テレビをつけて、ソファに身を投げ出し、ピザとサラダの夕飯をつまむ―― 当初の予定とは違ってしまったが、こういう夜の過ごし方もいいかもしれない。
レンジはまだ止まっていない。レンジを見ていたブラントにサラダの入ったボウルを持ったままは寄りかかった。
頭を抱き寄せる大きな手に、彼が当たり前のように隣にいてくれる日常を感じながら。