寂れた公園。軋むブランコ。育ちの良さをうかがわせるワンピースにはバラのコサージュがついていた。
綺麗に切りそろえられた前髪は俯いた少女の顔を隠していたが、それでもはっきり少女が泣いているのがわかった。
「ほら」
差し出されたハンカチは男の子たちの間ではやっている“フウトマン”が描かれている。
泣きはらした赤い目で、少女はハンカチと男の子の顔を交互に見た。照れくささを隠すためか不機嫌そうな顔をしている男の子のことを、少女は知らなかった。たぶん違う小学校の子なのだろう。
「泣くなよ……おれが――
『園咲若菜のヒーリングプリンセス―― ……』
どこからかラジオの音が聞こえる。園咲霧彦はそこから出ている義妹の声を捜した。
ノイズ交じりの音。あまりの性能のいいラジオではないらしい。園咲家の屋敷にそんなものがあっただろうか。
彼が玄関ホールまで下りて来たとき、不意にその音が止んだ。ハッとして振り返れば、階段の途中から彼を見下ろす人影がある。一瞬、霧彦はそれが自分の妻である冴子のように錯覚した。
「君は……?」
しかし、違う。微笑みを浮かべたその女は、切れ長の黒曜石のような瞳で霧彦を見ていた。
「あなたが霧彦さんね」
ゆったりとした口調はどこか色気を感じさせる。しかしその声質はまだ20代半ばになるかならないかくらいのものだった。
「ディガル・コーポレーション史上最高のセールスマン。その才能を見初められ、この園咲家に婿入りした男」
「一体何者なんだ?」そう尋ねようとした言葉は扉が開く音と、高いヒールの音によって遮られた。今度こそ、霧彦の妻である冴子だった。
彼女は目の前の夫に声をかける余裕もなく、冴子は女の姿に驚き目を見開いた。
「……!」
冴子に向かって浮かべた笑みは、冴子自身によく似ている。
「お久しぶり、お姉様」
普段は家族がそろって食事をとる広間で、霧彦と冴子はそれぞれ思うところがありながら目の前に座る女を見つめていた。と呼ばれた彼女は、メイドが運んできた紅茶を優雅に飲んでいる。
「冴子、彼女は?」
眉間に皺を寄せ、を睨むように見つめる妻に霧彦は尋ねた。
「妹よ」
「妹? 若菜ちゃんだけじゃなかったのかい?」
「ええ」
どうりで……を冴子だと一瞬でも錯覚してしまったことにも納得がいった。
「お姉様ったら、やっぱりわたしのことを霧彦さんに隠していたのね」
「当たり前でしょう」
「恥ずかしい妹だと思っているんでしょう?」
冴子はますます苛立ちを露わにした。からかうような口調と表情。この妹はもう1人の妹である若菜とは違う意味で自分を不快にさせるのだ。何もかもわかったようなこの口ぶりが。
「勝手にこの街を出て行ったあなたを“恥ずかしい”以外にどう評価できるのかしら?」
そしてその、勝手気ままさも。
「しかも男を追いかけてなんて―― 園咲家の人間であるという自覚を持ちなさい」
「自覚はあるわ」
冴子の言葉をさらりと受け流し、は言った。
「でもどう生きようとわたしの人生だもの。お姉様にも、お父様にだって口出しする権利はないわ」
「姉のわたしに口答えする気?」
「そう思うのはお姉様の勝手」
ガイアメモリを取り出した姉に、臆することなくは言った。
「わたしのことよりも会社のことを気にしたらいかが?」
「どういう意味?」
「離れている間も風都のことはちゃんと見ていたわ。たとえば―― 仮面ライダーとか」
冴子も、黙って姉妹のやり取りを聞いていた霧彦も射抜くようにを見た。仮面ライダー―― 風都の代表的な都市伝説が、実在することを2人は知っていた。何しろこちらの仕事をさんざん邪魔してきた相手なのだから。
「あんなものを野放しにしておいてお父様はお怒りじゃないのかしら? お姉様の会社もミュージアムの運営も随分と行き詰っているみたいじゃない」
「そんなに気になるなら、あなたもそろそろミュージアムの運営にかかわりなさい」
「残念だけど運営に興味はないわ。邪魔する気もないけれど」
立ち上がってその場を去ろうとするを、きつい冴子の声が呼び止めた。
「でも……仮面ライダーには興味があるかも」
姉の言葉を聞く気もなく、はそう言い残した。
姉妹とはいえ、冴子や若菜とはまた違うタイプの人間のようだと霧彦は会ったばかりの義妹を評した。
「出かけるのかい?」
出会ったのと同じ玄関ホールで、霧彦はを呼び止めた。
「いけないかしら?」
「いや、ただどこに行くのか知りたいだけさ。さっきここ数日のドーパント犯罪について調べていただろう?」」
「あなたの思っている通りだと思うけれど? お義兄様」
「君は」
背を向けようとするに霧彦は言った。
「随分と自由な人のようだね」
「風のように生きているの」
「恋人を追いかけて風都を出て行ったのも風に誘われてかい? あの後、冴子が教えてくれたよ」
「そうね。でも、彼はわたしの運命の人ではなかったみたい」
「それで? 次の恋人の候補は仮面ライダーかい?」
「まさか! ただ興味があるだけよ。面白そうじゃない? お姉様をあそこまで苛立たせる相手なんて」
姉妹だな……内心そう思いながら苦笑する霧彦に気付かず、はポケットから1枚のハンカチを取り出した。
「もっとも、運命の人もまた捜しに行くけれど―― 」
伏せられた瞳が、ハンカチを愛おしそうに見つめる。その横顔は少女のようだった。