第六章
相手のいないままの告白

 ホグズミード行きのある週末のホグワーツは、こんなに寂しいものだったかしら。
 シリウスだって最初の2年間はそのホグワーツにいたはずなのに、ちっとも知りやしませんでした。ホグズミードという楽しみを、知ってしまったからでしょうか。

 シリウスは結局、ホグズミード週末には行かなかったのです。はじめて親友たちの誘いを断って、そうしたのです。リリー・エバンズの言った言葉が、シリウスの頭の中をもう何度も何度も行ったり来たりしておりました。

 はどこにいるのだろうか?

 シリウスは思いました。冷たい石でできたホグワーツは、そんなこと教えてくれやしません。シリウスはぶらりと廊下に出て、校庭に出て、の姿を捜しました。

 は独り、ふくろう小屋におりました。ホグズミード行きのある週末のほとんどを、はこうしてふくろう小屋で過ごすのです。それか、図書館で読書をします。
 ふくろう小屋には大切な話し相手のウィンラムがいて、は彼に1週間のできごとを話して聞かせるのです。それから彼の好物のクッキーの欠片をあげて、家族に書いた手紙を届けてもらうのです。
 1週間のできごとと言っても、はかなしいこと以外は授業くらいしかありませんので、大抵はの同級生がどんな風だったかという話になってしまいます。この頃彼女が話すのは、もっぱらシリウスのことでした。

「わたし、またリリーの誘いを断ってしまったのよ……」

 はそっとウィンラムに言いました。

「リリーと一緒にホグズミードに行けたら、きっと素敵に違いないのに。彼女は他の子と行ったのかしら? わたしに話しかけて、何か嫌なことを言われなかったかしら?」

 自分でそう言って、は何だかかなしい気分になりました。それに、リリーが本当に嫌なことを言われていないか心配になりました。でも、にはそれを確かめる術はありません。
 ほぅと小さく息を吐いて、はその細い人差し指で、ウィンラムの柔らかな羽を撫でてやりました。ウィンラムは気持ちよさそうに目を細めてゆっくりと鳴きます。

「シリウスは」

 ほとんど無意識に、は彼の名前を出しました。

「今ごろ、ホグズミードで何をしているのかしら?」

 もうずっと、シリウスと話していない気がします。あの「おやすみなさい」と彼に言えた日から、ずっと。

「リリーとホグズミードに行けたら素晴らしいけれど、シリウスと行けたらもっと素晴らしいでしょうね」

 でもそんなこと、とても無理なことなのです。

「わたし、シリウスとホグズミードに行きたかったの……」

 ウィンラムに額を寄せて、はそっと銀色の瞳を閉じました。はらりと、涙が一滴、頬にこぼれて消えました。

 シリウスをホグズミードに誘っても、彼がOKしてくれるはずなんてありません。はわかっていました。

「でも無理ね……あの人はわたしを好きではないのだから」

 無理に誘ってあの綺麗な薄灰色の目で軽蔑されたら……それこそには堪らないことでした。

「ウィンラム、わたしはどうしたらいいの? もっと彼に好きになってもらえるように努力するべきなのかしら? でも、それでもし、彼に本気で嫌われたらと思うと耐えられないの……」

 ウィンラムは何も答えをくれません。彼はの大切な話し相手ですが、相談相手にはなれないのです。

「だってわたし、彼を本当に愛してるのよ……」

 の掠れた綺麗な声は、空気に溶けてなくなりました。こぼれ落ちる涙を止めることができなくて、はその白い手で、そっと顔を覆ったのでした。

 だからシリウスがそれを聞いていたなんて、は少しも知りませんでした。

 ああ、それは本当なら僕に向かって言うべき言葉なのに!

 どうしてはふくろうに話しかけているのでしょうか。あの気味の悪いだけだった瞳が透明な雫をこぼしたとき、シリウスは心底、の目の前に現れてやりたくなりました。そうすればは、自分に向かって、愛していると言ってくれたのでしょうか。

 でも、きっとは言ってくれないでしょう。

 シリウスにはそれがちゃんとわかっていました。今まで散々彼女のことを陰で悪く言ってきたのに、今更そんなこと言ってもらう資格はシリウスにないのです。は何も悪くないのに、そうやって大切な言葉を伝える相手を失ってしまったのです。行き場のない言葉は、ただ空気に溶けていくばかりでした。

 こんなかなしいことはありませんでした。シリウスはふくろう小屋に背を向けて、走り出しました。シリウスは急に、自分がとても酷いことをしてしまった気分になりました。リリーの言っていたことが、また頭の中で行ったり来たりします。
 はシリウスを愛していると言いながら、泣きました。そうさせたのは他でもないシリウスでした。そしてシリウスは、それがひどくかなしかったのです。

 ホグズミードから帰ってきた生徒が、談話室を通り抜けてそれぞれの部屋に戻っていきます。シリウスはその流れにまぎれて、肖像画の入り口をくぐりました。
 あれからしばらくシリウスは、ぼんやりとホグワーツを歩き回っておりました。色々なことを考えて、独りでいたい気分だったのです。そして今は、に会いたいのでした。

 は談話室の隅のソファで、人目に付かないように小さくなって、静かに本を読んでおりました。不意に隣が沈む感覚がして、はそっと銀色の瞳を本からあげました。
 となりに座ったのは、シリウスでした。シリウスはその薄灰色の瞳でちょっとを見て、それから正面に向き直り、そっと瞳を閉じました。は立ち上がろうかと思いましたが、それを覚ったのかシリウスが、本を持っていたの左手を握ったのでした。

「シリウス……?」

 これほど驚いたことは、にはありません。

「ここにいればいい」

 シリウスは、それだけしか言いませんでした。それ以上の言葉を、見つけられなかったからです。それでもには、それだけで十分な言葉だったのでした。

 楽しそうな人の流れから隔離され、が静かに本のページを捲る音だけが響いておりました。

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