時計が時間を告げる音が聞こえたが、シリウスたちは今が何時かわからなかった。随分と遅いことだけはわかっていた。
付き合い始めてからの幸せだった日々は、思えば夏休みを迎える時に終わりを告げたのだ。ただ、あの頃はまだその先もそれがつづいていくのだと信じていただけで。
そして――
時計が時間を告げる音が聞こえたが、シリウスたちは今が何時かわからなかった。随分と遅いことだけはわかっていた。
付き合い始めてからの幸せだった日々は、思えば夏休みを迎える時に終わりを告げたのだ。ただ、あの頃はまだその先もそれがつづいていくのだと信じていただけで。
そして――
夏休みが間近に迫っていた。シリウスがとする会話の内容も、ほとんど夏休みのことになっていた。
「独り暮らしするんだ」
シリウスは言った。
「去年の夏はまだ未成年だったし、ジェームズの家にいたんだけど……」
「えっ? ちょっと待って、シリウス。どうしてジェームズの家に?」
「言ってなかったか?」とシリウスは眉を顰めた。自分にとって家にいないことは当たり前過ぎてすっかりもそれを知っているものだと思い込んでいたらしい。
「去年、家を出たんだ。僕にとってあの家にいることは耐え難いことだったから」
「何かあったの?」
「僕の家は―― 一族が全員スリザリンで僕だけがグリフィンドールだった。それだけ言えばわかるだろう?」
は困惑した表情だったが、理解したように口をつぐんだ。シリウスもそれ以上家の話題をつづけたくなかったし、がそうしてくれたことがありがたかった。
「それで」
シリウスは話題を戻した。
「よかったら来ないか?」
「えっと……シリウスの新しい家に?」
「そう」
は夏休み中、レオン・グリフィスと共にしばらくはホグワーツに残るのだと言った。残りはリリーかルナの家に泊まって彼女たちと休暇を過ごすのだと。それでシリウスはと夏休み中も会うために、友人たちの家ではなく自分の新しい家に泊まるよう彼女を誘おうと思ったのだ。
「レオンがいいって言うか、わからないわ」
そのひと言で、シリウスは早速とグリフィスの元に向かった。却下される可能性は高いとわかっていたが、それでも頼んでみる価値はある。
「それで」
しかし、話をし終えた後のグリフィスの反応は予想通り冷たいものだった。
「それでブラック、貴様は私がそれにいいと言うと思ってここに来たのか?」
「万が一ってこともある」
「駄目に決まっているだろう」
きっぱりとグリフィスは言いきった。が懇願するように義兄の名前を呼んでも、彼は返事を覆さなかった。
「何もと貴様が夏休み中1日も会ってはいけないと言っているわけじゃない。新学期の買い物に行く時くらいなら―― ただし、が泊まるのはエバンズかアーヴィングの家だけだ」
「まるでの父親みたいだ」
「そうだとも」
低く唸ったシリウスにグリフィスは何の表情も変えなかった。
「シリウス、それならわたし、リリーとルナに頼んでみるから―― できるだけ長く泊まらせてもらえればそれだけ外で過ごせるし」
「それで僕は今度はエバンズを説得しに行くわけだな」
「不満ならやめるか?」
「少しも不満じゃない。少しも!」
はっきりと不満さを声に表しながらシリウスは言った。それから不機嫌な目でよく整頓されたグリフィスの事務室を見渡した。彼の性格を表しているようで、それがまた憎らしかった。
「まあ―― 私も今年の夏休みは忙しいし、にほとんど構えんだろうから丁度いい」
「忙しい? どうして?」
「引き継ぎの準備だ。教師をやめる」
シリウスは驚いてグリフィスを見た。そんな話は少しも知らなかった。の方を見れば彼女も驚いていた。
「どうして?」
素早くたずねたにつられるように、シリウスはグリフィスを見た。
「あんな事件を起こしてしまった責任はとらないといけない―― 犯人はブラックということになってはいるが。それに、元々1年だけの約束だったのだ。今年は直前まで担当が決まらなかったからな」
グリフィスの冷たいブラウンの瞳はを真っ直ぐに見つめていた。
「私の役目は教師をすることではない。本来の役目に戻らなければならない」
「役目って?」
「貴様には知る必要のないことだ。ブラック」
はその役目のことを知っているのだろう。それっきり口をつぐんでしまった彼女の様子に、シリウスはそれを察したが、に問いただすことはできなかった。
はグリフィスが辞めることが本当にショックだったようだ。グリフィスの事務室から戻る間も、彼女はずっと黙りこんでしまっていた。シリウスが名前を呼んでやっと振り返ったは、顔色が悪かった。
「聞いてなかったのか?」
「少しも」
「でも全く会えなくなるわけじゃないんだ。そう落ち込むことないだろ」
「でも今年は毎日顔を会わせてたから―― たった1人の家族だもの、会える時間が減るのは寂しい……」
「僕にはわからない」
その言葉にはグリフィスへの嫉妬も混じっていた。シリウスもそれに気付いたが、には伝わらなかったらしい。彼女は何か言いたそうにシリウスを見たが、何も言おうとはしなかった。おそらくシリウスの家族のことだろう。
「夏休み、いつ会おうか?」
気付かないフリをして話題を変えた。家族の話題を引きずったまま夏休みを迎えたくなんてなかった。だからそうすればはきっともうこの話題に進んで触れようとはしないだろうと思って、そうしたのだった。
との夏休みはそれだけで今までよりずっと素晴らしいものになる。それを台無しになんてしたくなかったから。
でもそんな保証、どこにもなかったんだ。
シリウスは最初見た時よりも月の位置が随分と西に傾いてしまっていることに気付いた。時計を確かめれば後2時間もすれば空が白んでくるような時間だった。
「つづきは」
同じように時計を確めたリーマスが口を開いた。
「明日聞く。もう遅いよ」
彼は「いいだろう?」とたずねる代わりにジェームズやピーターに視線を向け、それからシリウスを見た。シリウスは頷いた。肝心な部分は何も話していない。一気に話してしまいたい気もしたが、確かに少しくらい寝た方がよさそうだった。親友たちは揃って酷い顔をしている。自分もきっと同じような顔をしているだろう。
ほとんど口をきくこともなく、4人はそれぞれのベッドに入った。シリウスはしばらく眠れなかった。ずっと喋っていたからではなく、他の理由で喉が酷く渇いていた。腕で目元を覆い隠せば自然と涙が零れる。泣きたかったのだと泣いて初めて気がついた。
のことを思い出して泣きたくならないはずがないのだ。
心の中で彼女の名前を呼びながら、シリウスは気付けば夢の中にいた。雪の、湖の辺だった。誰かがいる―― だ。しかし、彼女は随分と幼かった。そして誰かと手を繋いでいた。
シリウスは幼い彼女と手を繋いでいるのが自分であることにふと気がついた。確かに彼女は隣にいるのに、どうして気付かなかったのだろう? 夢だからだろうか?
寂しそうに俯いている幼いの手を、夢の中のシリウスはそっと離した。他人事のように手元を見ながら、何故そうするんだとシリウスは声にならない声で叫んでいた。
傷ついた幼いの大きな瞳がシリウスを見上げた。自分の知るの瞳の色とそれが同じことは当たり前なのに、シリウスは何故か驚いてしまった。
銀色のそれから、ぽろりと涙がこぼれる。慰めなければと思うのに、がどんどん遠ざかっていく。自分が、どんどん遠ざかっている―― ……
やがてが、見えなくなるまで。