目を覚ました時、シリウスは自分がどこにいるのかわからなかった。独特の臭いで医務室だと気付き、バレンタインカードが爆発したのを思い出した。
「今、何時だ?」
「それより何日か確認した方がいいよ」
「何?」
ぼんやりとした視界に顔を出したのはジェームズだった。親友は呆れたような怒っているような顔をしていた。
「君、憶えてないのかい? あと、憶えてるかい?」
「ちゃんと話せよ」
「前者はバレンタインに君がここに運び込まれてからのこと。後者はのことさ」
「? がどうかしたのか?」
「それじゃあ」
ジェームズは期待を込めて言った。
「彼女と君の関係は?」
「恋人さ。何を改めて……」
「君はさっきまでそれを忘れてたんだよ、パッドフット!」
ジェームズから語られたバレンタインから今日までの出来事に、シリウスはただ呆然とするしかなかった。聞き終えた後真っ先に感じたことはに対する申し訳なさで、彼はすぐにジェームズにの居場所をたずねた。
「隣のベッドさ」
カーテンはしまっている。
「熱があるんだ。今は寝ているよ」
ベッドから出ながらシリウスはジェームズに寮に戻るよう告げた。ジェームズは軽口をたたき、それでもちゃんと気を遣ってとシリウスが2人きりになるようにしてくれた。
カーテンの向こうにあるベッドではが布団をすっぽりとかぶって眠っていた。確かに顔が赤く、熱があるようだ。脇の机にある空っぽの花瓶を見て、彼は自分のベッドに戻った。シリウスのベッドの傍にある机には、彼の杖が何故か2本置かれていた。1本は何かあった時用の予備の杖だ。いつもは鞄の中にしまってある。
首を傾げながらも本来の自分の杖を取り、シリウスはのベッドへ戻った。空っぽの花瓶に杖を向ければ水と花がそこに現れた。
「」
起こさないように気をつけながらの名を呼び、シリウスはそっと彼女の前髪を撫でた。まだしばらくこのままでいい。そして、が起きた時に何て謝るかを考えておかなければ。
の体温の低さは、手袋越しにはわからない。まるでそれが少しでもわかれば、というようにシリウスはの手をいつもより少し力を込めて握っていた。
の風邪はあっという間に治り、彼女が退院するとすぐにシリウスはと再びホグズミードを訪れた。以前のように人の少ない村の中をゆっくりと歩きながら、ホグズミードにある店に気の向くままに立ち寄り、少しだけ買い物をした。
退屈な散歩のようだったが、2人にはそれで充分だった。シリウスはがいればそれで幸せだったし、もきっと同じように思ってくれているだろうと信じていた。
記憶が戻った日、シリウスはの目が覚めるまで彼女の傍にいた。彼女が目を覚ましたのは夕食の時間の近くだった。まだ少し熱があるせいか顔が赤く、目を覚ましたばかりのぼんやりとした視線で自分を見たのその瞳に、少しの不安が過ったのをシリウスは見逃さなかった。
「」
シリウスはそっと彼女の名前を呼び、赤い頬を撫でた。「ごめん」と、謝罪の言葉が自然と口からこぼれていた。
「記憶が、戻ったの?」
掠れた声にシリウスは頷いた。また謝罪の言葉がもれた。何度言っても謝り足りないくらいだ。
「ごめん……君に、何て言ったらいいか……傷つけた、よな?」
「辛かったけど、記憶がなくなっていたのはあなたのせいじゃないから」
は微笑んでくれたが、シリウスの心は晴れなかった。が風邪をひいていることだって自分のせいのような気がしていた。
言葉にできない想いの代わりに、シリウスはの前髪をそっと撫で、その額にキスを落とした。「そんな顔しないで」とは言った。そっと伸ばされた彼女の手が一瞬だけ戸惑うように宙に止められ、それからゆっくりとシリウスの頬に添えられた。いつもは冷たい彼女の手は、熱のせいか温かかった。
「記憶は戻ったんだもの」
「でも償いたいんだ」
「シリウス、そんな大げさなこと言わないで」
座っていたスツールから立ち上がった代わりにシリウスはが寝ているベッドの端に腰かけた。片手をついて身をかがめればの顔がぐっと近づく。は困ったように笑っていた。何かして欲しいことはないかとたずねながら、シリウスはの唇に軽いキスを落とした。
の銀色の瞳がしばらく考えるようにシリウスを見つめ、それからふと何か思いついたように口を開いた。
「ホグズミードに……」
「ホグズミードに?」
「また、2人で行きたいの。今度、ホグズミード休暇がある時でいいから」
「そのくらいなら……今すぐにだって連れて行ってあげるさ」
「今すぐは無理よ」
笑うにシリウスも微笑んだ。
「そうだな。君の風邪が治って、退院してから」
叫びの屋敷の近くまで来ると人は誰もいなかった。離れたところにみえる屋敷は静かな分余計に不気味で、シリウスは毎月自分が仲間と一緒にそこを訪れているなんて何だか少し信じられなかった。
「シリウス」
立ち止まって一緒に屋敷を見ていたに名前を呼ばれ、シリウスは振り返った。
「わたし、その……あなたに渡したいものがあるの」
「何?」
遠慮がちに俯いて、は少し鞄の中を捜した後、またうかがうようにシリウスを見上げた。そんな彼女の様子を不思議そうに眺めながら、シリウスはが行動に移すのをじっと待っていた。
「これ……」
何故か申し訳なさそうに出されたのはバレンタインカードだった。シリウスはすっかり驚いてカードとを代わる代わる見つめた。
「本当はバレンタインに渡すつもりだったの。でも、渡せなかったから……遅れてしまったけど」
「ちょ、ちょっと待って」
シリウスはカードを差し出すを留め、慌てて自分の鞄の中に手を突っ込んだ。シリウスもまたカードを用意していた。すっかり渡しそびれてしまっていて、同じように今日、渡すつもりだったのだ。
「僕ら、同じことを考えてたんだな」
からカードを受け取るのと同時に、シリウスは自分のカードをに渡した。「ありがとう」とが嬉しそうに笑ったのに、満足そうな笑顔を向け、「それから」とシリウスは付け足した。
「僕はもう1つあるんだ」
「えっ」
「これ――」
カードと一緒にとりだした1輪の赤いバラの花をシリウスは渡した。事前に魔法をかけておいたおかげで、バレンタインからしばらくたってしまったが、花は美しいままだった。
「君へのプレゼントを考えてた時、ジェームズはふざけて花束でも贈ればって言ったんだ。冗談じゃないって思ったけど他に思いつかなくて……花束はやっぱり恥ずかしかったからさ」
「綺麗」
は微笑んで受け取ってくれた。
「わたし、充分だわ―― でも、わたしはカードしか」
「いいんだよ。バレンタインなんだから」
「でも……カードじゃない方がいいんじゃないかと思ったの。あんなことがあって……」
それではどこか申し訳なさそうだったのかと、シリウスは初めて気がついた。面白そうに声を立てて笑い、シリウスはのカードを大事に鞄にしまった。
「確かにカードはもうこりごりだと思ったよ」
コートのポケットに手をつっこんで、シリウスは悪戯っぽく笑って見せた。
「来年は処分の仕方じゃなくて、僕のところに届かないようにする方法を考えないといけないだろうってね。受け取るのは―― のだけがいい」
「シリウス」
困ったように笑うに、シリウスはキスを落とした。「寒くなってきたな」と空を見上げれば、灰色の雲からちらちらと雪が降ってきたところだった。
「バタービールを飲みに行こう。また風邪を引いたり大変だろう?」
「そんなに引いたりしないわ」
自然なしぐさで2人は手を繋ぎ、叫びの屋敷に背を向けたのだった。