窓から差し込む朝の日差しの強さで目が覚めた。寝起きのまとまらない思考の中でもカーテンが穴だらけでその役目を果たしていないせいだというのがわかる。眠い目をこすりながら大きく伸びをして体を伸ばすと、昨夜寝る直前まで響いていたグリムの寝息が今もまだ響いていた。

「グリム、朝だよ。起きて」

 その丸っこい体を揺らして軽く声をかけると、ふにゃふにゃと気の抜けた返事があった。今日から授業なのに、大丈夫だろうか? グリムを起こすのをゴーストたちに任せ、は着替えを手にバスルームへと向かった。
 まだまだその名のとおりオンボロな寮ではあるが、昨日の夜、この制服を届けるついでにクロウリーがバスルームだけは魔法で清潔にしてくれたのだ。初日はほとんど自分の姿なんて見えなかった鏡には、今はちゃんと自身の姿が映っている。

 丸っこい目に、平均的な身長で、体型も――多少、二の腕のやわらかさと胸の大きさが気になるが――平均的で、ごく普通の容姿。

 そういえば、オンボロ寮のグリムやゴーストたちには自分の性別を明かしてしまったけれど、このナイトレイブンカレッジにいる他の人たちには今日もちゃんと自分の姿は男に見えているのだろうか?

「おい、子分! 準備できたか!?」
「こらこらグリ坊、寝坊したのにを急かすんじゃないぞ」

 バスルームのドアをノックする音と共に聞こえたグリムの寝起きとは思えない声には「ちょっと待って」と慌てて制服のシャツに袖を通した。本当はこのシャツの上に寮ごとのカラーのベストを着るらしいが、あいにくオンボロ寮にはそんな色分けもなく、代わりにゆったりとしたごくありふれたデザインのニットのベストを着て、最後にジャケットを手に取った。
 大き目の制服のジャケットは着心地がよく、洗剤かなにかだろうか? 花に似た甘い香りが袖を通した瞬間にふと漂って消えて行った。

「お待たせ」

 バスルームの前で待ち構えていたグリムの首元のリボンには魔法石がつけられている。「遅いゾ」と言う小さな相棒に苦笑いをして汚れてはいるものの朝日はなんとか差し込む窓へと視線を向けた。天気はよさそうだ。初登校にはいい日だろう。この場所の気候なんかはまだよくわからないけれど、校舎から離れているから、早めに雨具も買っておいた方がいいかもしれない。他にも必要なものはたくさんあるし、掃除もしなければ。学校がはじまれば予習復習もあるだろうし、忙しくなりそうだった。

「忘れ物はないかい?」
「大丈夫――

 鞄の中には昨日、制服と一緒に渡された必要最低限の文具やノートがある。教科書は各教科の担任にもらうよう言われていた。ゴーストの問いかけにうなずくと同時に、グリムが意気揚々と向かっていたオンボロ寮の玄関の扉が叩かれる音がした。

「誰なんだゾ? こんな朝っぱらから……」

 グリムが飛びつくようにして扉を開けると、ひんやりと涼しげな朝の空気が流れ込んできた。「おはよー」と当たり前のようにそこに立っていたエース・トラッポラが二人にあいさつをしてきたので、は思わず目を瞬かせた。

「おはよう、エース。どうしたの? こんな朝早くから……」

 そういえば、話し方も気をつけないと。は自分の言葉を反芻しながら思った。とはいえ、下手に意識しすぎてもすぐにボロが出てしまいそうだ。

「どうしたのって……二人とも、今日が初登校じゃん? 教室の場所とかわかんないんじゃないかなーと思って親切にも迎えに来てやったんだよ」
「へー……ありがとう」
「めちゃくちゃ棒読みじゃん」
「エースが無駄に偉そうだからなんだゾ……」
「ちょっ、マジで引いてる? 冗談に決まってんじゃん! それに教室の場所とかよくわかんないのは本当だろ?」
「まあ、たしかに?」

 ここに来た最初の日にあちこち逃げ回った時には、さすがに道順を覚えることなんてできなかった。なんとなく行き方がわかるのは食堂くらいだろう……。エースの申し出に甘えて、グリムと三人で登校することにした。

 が元いた世界の九月よりもこちらの世界の方が秋らしい気温だ。今日は天気もいいし、日中はニットのベストはいらないかもしれない。
 オンボロ寮から校舎に向かう道はさすがに誰ともすれ違わずさみしい景色がつづいていたが、図書室の角を曲がると鏡舎から校舎へ向かう生徒たちの姿がちらほらと見えるようになった。遠くの方でかけ声も聞こえる。エースに聞けば、普通に部活動もあるらしい。魔法士養成学校というから普通の学校と違うと思っていたけれど、授業内容やゴーストがいることを除けばが通っていたような高校と同じ部分もあるようだった。

「そういえば、二人のクラスは? もう決まってんの?」
「うん、1-Aだよ」
「マジで!? 同じクラスじゃん。あ、デュースのヤツも一緒だぜ」
「そうなんだ」
「そういえば、デュースのヤツはどうしたんだ? 一緒じゃなかったのか?」
「同じ寮だからって一緒に登校するわけないだろ? もう教室にいるんじゃない? 俺が寮を出る時は起きてたし」

 まあ、確かに寮も同じ部屋なのに登校まで一緒に、というのは考えられないかもしれない。ましてや入学したばかりでまだお互いのことをよく知らないのだ。昨日、とんでもない体験を一緒にしたとはいえ……。

「昨日の夜は、よく眠れた? ほら、あんなことがあったし……」
「あのバケモノね……何だったんだろうな」

 「もう頼まれたってぜってー行きたくないわ……」と首を振るエースにもグリムも同意した。

「そもそもエースが窓拭きをサボろうとしたせいであんな怖い目にあったんだゾ」
「はあ? それを言うなら、グリムがハートの女王の像を燃やしたせいだろ?」
「ハートの女王の像が燃えたのは、エースの風の魔法だって原因なのでは……?」
「そうだゾ! それに、エースがあんな風にオレ様たちのことバカにしたからいけないんだろ!」

 ギクリとエースの表情が固まった。さすがに思うところがあったのだろう。頭をかき、「まあ、それは……そうなんだけどさ」と口ごもる様子を見て、はおやと思った。

「……そのことに関しては、悪かったよ」
「えっ」
「ど、どうしたんだ? 突然謝るなんて……悪いもんでも食ったのか!?」
「素直に謝ってるのにその反応はないだろ……いや、オレだってちょっとは反省したって言うか……折角の入学式めちゃくちゃにされてちょっとムカついててさ……でも、大人げなかったわ」
「……ま、まあ、オレ様も大人げなかったんだゾ」
「ケンカ両成敗だね」
は気にしてないの?」
「気にしてないって言ったらウソになるけど……昨日のこともあったし、こうやって謝ってもらったからいいかなって」
「……もしかしてってちょっとお人よし?」
「えぇ? なんで?」
「オレ様だったら絶対許さないんだゾ」

 グリムにも半目で見られ、は「そうかなぁ」と首を傾げた。そんなこと言われたこともないし、自分自身をそう評価したこともなかった。

 そうこう話している内にたどり着いた教室はが見知った教室とは全く違っていた。奥に教壇があり、両サイドに二段になった座席がある。教室の真ん中は広く開けられているのは、やはり魔法を使うためだろうか?
 なんだか映画の世界みたいだ……。すでに生徒が何人も登校して来ていて、一人で席に座って教科書らしきものを読んでいたり、友人同士で話したりしていた。がよく知る教室と同じざわめきは、しかし、とグリムが一歩教室に足を踏み込んだ瞬間に霧散してしまった。
 ざわめきとは違う、ヒソヒソとした話し声がさざ波のように広がって行った。「あれ、あいつ……」「入学式に暴れたモンスターと、魔法が使えないヤツじゃねぇか」「なんでうちのクラスに?」どう考えても好意的ではない声と視線には思わずグッと唇を横一文字に結んだ。
 まあ、たしかに自分たちは場違いだろう……でも行くところなどないし、入学を認めたのは学園長だ。それに大魔法士になりたいという夢にがむしゃらなグリムを無視するなんてできなかった――こういうところが、お人よしなのかもしれないけれど。

 周囲の空気と強張ったの体に気づいたエースはポンポンと軽くの肩を叩き、「早く入れよ。後ろがつかえてるだろ」と何でもない様子で軽口を叩いた。幾人かの視線がエースにも向けられ、それもまた好意的ではなかったことがに申し訳なさを感じさせたが、それを口にしたらエースはきっと怒るだろう。

「おはよう、、グリム」

 席についていたデュースが入口の三人に気づいて軽く手を上げたので、は気を取り直して教室に足を踏み入れた。ちらりと見たグリムは周りの目を全く気にしていないようだ。気づいてないとも言える。気づいても、気にしないだろうからどちらでも同じなのだろうけれど。
 席はどうやら自由らしく、エースとデュースの間の席についたはやっと息を吐いた。席はグリムと同じだ。机は広いので、教室の隅にあった余りの椅子を持ってきてグリムと一緒に座っても問題なかった。もっとも、グリムには少し椅子が低そうだ。

「おはよう、デュース」
「昨日は大変だったな」

 あの化け物を思い出したのか、デュースが少しだけ表情を険しくしながら言った。

「まあ、でもオレ様の実力をクロウリーのヤツに認めさせて入学できたんだから、結果オーライってヤツなんだゾ!」
「それはそうだけど……あの化け物はなんだったんだろうな?」
「考えたってしょうがねーだろ。まあ、少なくとも俺はもう二度とドワーフ鉱山には行かない! って思ったね」
「それは僕もだ。昨日、無事に寮に戻れてほっとしたよ。退学も免れたし」

 気づけば周囲のヒソヒソ声の内容が入学式から昨日のシャンデリア事件に変わっていた。このメンバーで集まっていれば仕方ないのかもしれない。入学式での騒ぎとか魔法がないこととかよりよっぽどインパクトも強そうだ――

「……退学は免れたけど、シャンデリアのことはかなり広まってるな」

 声の調子を落としながら、デュースが肩も落とした。

「優等生から遠のきそうだ……」
「まあ、人の噂も七十五日って言うから」
「聞いたことねぇけど?」
の故郷の言葉か? 七十五日って……結構長いな」
「そういえば、ってどこ出身なの?」
「えっと……」

 自分が異世界から来たことを、この二人には打ち明けてもいいかもしれない。異世界から来たということを信じてもらえるかは別だが、少なくともこれからの学校生活のことも含めてこの世界の常識なとかわからないことは気軽に聞けるようになりたかった。

「その話は昼休みとかでいい? 話せば長くなりそうだから」

 二人はそろってきょとんとした顔をしたが、特にそれ以上何もたずねずうなずいてくれた。

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