はじまりこそ不安と心細さばかりだったが、そんなものはすぐに吹き飛んでしまった。それどころではなかったと言う方が正しいかもしれない。
再び学園に侵入したグリムと成り行きで共闘したゴースト退治にはじまり、学園長に学園の雑用係に任命され、エースやデュースと出会い、食堂のシャンデリアを破壊し、ドワーフ鉱山に魔法石を取りに行き、見たこともない――この世界は見たこともないものばかりだが――化け物に襲われて……。
「は~オレ様たち、明日から学園の生徒なんだゾ!」
うきうきとした声が聞こえ、は視線をとなりを歩くグリムへと向けた。
でもこうしてグリムがとなりにいるようになって、エースやデュースと仲よくなって、不安が全くなくなったと言うと嘘になるけれど、心細さのようなものはいつの間にか消えていた。
「よかったね」
オンボロ寮へ向かう足取りも軽い。は微笑んだ。
「魔法のことはオレ様に任せとけ! いいか、足引っ張るんじゃねぇゾ!」
グリムは心からうれしそうだ。本当にこの学園に入りたかったのだろう。「頼りにしてるよ」と言えば、ふふんと得意げな笑みが返ってきた。
「おお、やっと帰ってきた」
「お帰り二人とも」
「ふなっ!?」
オンボロ寮の軋んだ音のする扉を開くとすぐに、見覚えのある三人のゴーストが当たり前のように二人を出迎えた。今朝、昨晩のことなどなかったかのように起き抜けに現れたゴーストたちを、グリムが再び追い出そうと大騒ぎしたばかりだった。
「オマエら、いつの間に戻って来たんだゾ!?」
「戻って来るも何も、わしらはずーっとここにいたぞ」
「散歩くらいは行ったけどねぇ」
「つまり姿を隠してただけってこと?」
「オレ様たちの寮なんだゾ!」
「おいおい、俺たちはずーっとここに住んでいるんだ。追い出すなんて酷いじゃないか」
「それは、そうかも」
最初に出会った時は弱気になっていたのもあって恐ろしく感じたが、今こうして対面してみると意外と親しみやすい雰囲気があった。あの化け物に会った後だからというのもあるかもしれないが。
「お二人さんここで暮らすんだろう? まあ仲よくしようじゃないか」
イヒヒと高い笑い声を立てて口々に「よろしく」と告げるゴーストたちに毛を逆立てていたグリムも毒気が抜かれたようだった。もまた肩の力を抜き、「うん、まあ、よろしく」とあいまいに言葉を返した。
「あれだけオレ様たちのことをおどかしといて、調子がいいんだゾ」
唯一の寝室に戻ってすぐ、グリムは自分のベッドの上によじ登りながらそうぼやいた。
「まあ、にぎやかでいいんじゃない?」
「本気で言ってんのか?」
「うち、家族が多かったから、家がにぎやかな方が落ち着くっていうか……」
そういえば、元の世界に戻る方法のことはどうなったのだろう? 家族は心配しているだろうか? 自分がここに来た時の状況は相変わらず思い出せず、は気持ちが深く沈むのを感じた。
「の家族ってどんなだったんだ?」
「家族自体は普通だよ。両親と、兄が三人。姉が一人」
沈んだ気持ちをそのまま心の奥深くに隠しながら、いつも通りを装っては答えた。
「兄ちゃんが四人!? それってニンゲンにしては多いんじゃねぇか?」
「うん。だから構、放任だったな。三番目のお兄ちゃんがわりとかまってくれたけどね。お姉ちゃんは最初の女の子だからめちゃくちゃかまわれたみた――あっ」
「ん?」
そういえば、グリムには自分の性別のことを言っていなかった。でもこれから一緒に暮らすのなら、いつまでも秘密にできない気もするし、突然バレると大騒ぎしそうだ。
「あのさ、グリム……誰にも言わないで欲しいんだけど、あのエースとデュースにも」
「何だ?」
「絶対、秘密にできる?」
「もったいぶらずに早く言うんだぞ!」
「……あっ、待って。ゴーストたちも呼ぼう」
「ふなっ!? なんでアイツらも!?」
騒ぐグリムを無視して部屋の扉を開けてゴーストを呼ぶと、彼らはすぐに姿を現した。ここでいつまで暮らすかわからない以上、少なくともこのオンボロ寮の人たちには事情を話して味方になってもらった方がいいだろう。寮の玄関にもこの部屋にも鍵がついていないのだし。
「なるほどねぇ~」
ひと通り事情を話すと、昨日学園長もそうだったようにそれまでグリムたちには男子生徒に見えていたの姿が、本来の姿で見えるようになった。グリムの驚きっぷりを見るに、やはり事前に話しておいて正解だったようだ。もし他に人がいる場でうっかり正体がバレて大騒ぎされたらとんでもなかった。
「確かに今はちゃーんと女の子に見えるのう」
「さっきまでちゃんと男の子だったのに……何かの魔法かい?」
「魔法は使えないから、魔法じゃないと思うんだけど……よくわからないし、学園長も魔力? は感じないって……」
「それは不思議だねぇ。お前さんが事情を話すまでは窓に映った姿までちゃーんと男の子だったのに」
「まあ、俺たちだって何だかよくわからないけどこうしてゴーストになってここにいるわけだし、魔法以外にもこの世には不思議なことがたくさんあるさ」
「そういうものなのかな」と何となく腑に落ちないながらもはうなずいた。
「だけどが女の子となると、この寮の鍵くらいは早く直したいんじゃないか?」
「そうなんだよね……」
「しゃべり方なんかも気をつけないとねぇ。明日から学生だろう?」
「そうなんだよね」
「何をそんな気にするんだ?」
「ここって男子校なんでしょ?」
「そうだな」
「男子の中に女子一人っていうのはいつの時代だって気をつけるに越したことはないんだよ」
「そうなのか? まあ、オレ様が守ってやるから大丈夫なんだゾ!」
「えっ?」
ふんっと胸を張るグリムには目を丸くした。
「オマエ、魔法も使えないしな! 子分を守るのは親分であるオレ様の役目なんだゾ!」
「子分って」
苦笑いを浮かべてしまったが、グリムはいたって本気でそう言っている様子だ。が魔法を使えないことが原因なのか、いつの間にかグリムの中では子分という立場になっていたらしい。
もっとも、二人で一人の生徒なのだし立場は対等のはずなのだが……それを指摘するのは何だか野暮な気もした。
「まあ……頼りにしてるよ、親分」
「任せるんだゾ!」
ゴーストたちも二人の様子を微笑ましく見つめていた。グリムと二人、というのは多少なりとも不安もあったが案外なんとかなるかもしれない。自然と抜けた肩の力に、はやっと自然と笑えたような心持になった。
「さあ、二人ともそろそろ寝た方がいいんじゃないかな?」
「はっ! そうなんだゾ! 未来の大魔法士グリム様の記念すべき初登校が遅刻じゃカッコつかないからな。絶対寝坊するんじゃないゾ、子分!」
「グリムもね」
「おやすみ~」と部屋を出て行くゴーストたちを見送って、とグリムはそれぞれのベッドに入った。明日からの生活、どうなるのだろう。でも意外と、楽しめるかも。ちょっとだけうるさいグリムの寝息を聞きながら、はゆっくりと瞳を閉じた。
「お前、いつもよく見つからずにここまで来られるな」
「わたしではないわたし」にあきれたような声がかけられた。声につられて顔を上げると、草原色の瞳がこちらを見ている。そこに「わたしではないわたし」の姿が確かに映っているはずなのに、どうしてかはっきりと認識することができなかった。
「こっそり来るのはもう慣れましたから!」
胸を張ってそう告げれば、ため息を一つを落とされた。「慣れた、ねぇ」とつづけられた時にはもう草原の色は窓の外を眺めていた。
「それだけじゃねぇだろ」
「それは――」
持ってきた花束を花瓶に生けながら、「わたしではないわたし」は少し考えながら言葉をつづけた。
「そうですけど」
それ以上の追及はなかった。満足いくバランスで生けられた花を机の上に置き、「わたしではないわたし」はごく自然な動作で彼の傍に腰を下ろした。
「わたしではないわたし」が彼に何かを告げた。「だろうな」と答える彼の不敵な笑みを、その横顔を、「わたしではないわたし」はいつまでも見つめていたのだった。