人けのない廃墟。その中を覗けば、どうやらそこが何かの研究所だったことが見て取れた。スパイダーショックが示した翔太郎の居場所は確かにここだが、何の気配もしない。
 フィリップと亜樹子は顔を見合わせた。とりあえず中に入ってみる必要がある。しかし、下手に入って敵に気づかれるとマズイ。バットショットを起動し中を探るように頼むと、2人は建物の周囲を探ることにした。

「ここにいるのか」

 フラリとした声が鼓膜を震わせる。動き出そうとした2人はハッとして振り返った。いつの間にいたのだろう……ひょろりと痩せた男がそこに幽霊のように立っていた。

「園咲は」
「園咲……?」

 あのドーパントの女のことだろうか? フィリップは男が彼女を捜して自分たちの後をつけて来たことに気づいた。

「フィリップくん、こいつ――

 さりげなく亜樹子を背中に庇う。こいつは危険だ。頭に警鐘が響いている。

「カノジョは僕のモノだ……あんな男には渡さない」

 “ネペンテス”―― ガイダンスボイスが響き、男の体は異形の怪物へと変身を遂げた。あの時、を襲ったドーパントだ。「アキちゃん!」叫ぶと同時に、フィリップは亜樹子を押し倒した。
 放たれた攻撃は地面を溶かす。自分たちが立っていたところだ。男の狙いはらしいが、彼女に近づく人間は全て邪魔、障害物らしい。中にいる彼女を警戒している場合ではなかった。目の前の危険を避けなければ。そして翔太郎を救わなければ。

「アキちゃん、行こう!」

 次の攻撃が放たれると同時に、フィリップは亜樹子の手を取って建物の中へと駆け込んだのだった。

第 4 話 Fとの邂逅/「ひ」と「ろう」

 頭上で響いていた騒音が近づき、と翔太郎のいる地下室の扉が爆炎と共に吹き飛んだ。飛び込んできた2人に、は目を細めた。1人は翔太郎と一緒にいた女、そしてもう1人は――

「フィリップ!!」

 翔太郎の声が響く。煙が晴れ、は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

「そう」

 髪をクリップで止めた少年。彼が翔太郎の相棒。

「あなたがフィリップなのね」
「僕の相棒を返してもらうよ―― 園咲さん」
「そういうわけにはいかないわ」

 ゆったりと微笑み、は自分のドライバーとガイアメモリを取り出した。「まずい」という感情が翔太郎とフィリップの両方の表情に浮かんだ。フィリップの視線が拘束された翔太郎との傍にあるドライバーへと走る。

「フィリップ、亜樹子、逃げろ!!」
「そうはいかない……!」

 後ろにはあのドーパントがいるのだ。対峙する決意に同調するように、電子的な唸り声が響いた。どこから―― それをフィリップが確かめる間もなく飛び込んだ白い影は、フィリップの意思に呼応するようにに飛びかかる。

「ファング!」

 牙の記憶を宿した恐竜型のガイアメモリ―― フィリップの護衛も担うそれの登場に動揺したの隙をつき、亜樹子がドライバーとメモリを取り返し、翔太郎の元に駆け寄った。

「邪魔よ!!」

 払いのけられたファングは地面に衝突する前に身を翻して着地する。薔薇色のメモリを握りしめたの怒りは、翔太郎の拘束を解こうとする亜樹子に真っ直ぐ向けられていた。

「わたしの翔太郎から離れなさい!」
「いや、キミは僕のモノだ――

 幽霊のような声がその怒りを挫いた。扉があった場所に開いた穴からドーパントが姿を現す。を襲い、フィリップたちの後をつけたネペンテスドーパントだ。

「やっと見つけたよ、
「あなたは――

 眉を顰めて異形の怪物を見たは、その声に聞き覚えがあった。

「あなた、まさか樋口治郎?」
「そうだよ、キミの恋人だ」
「バカ言わないで。あなたはわたしの運命の人じゃなかった」

 自分を拘束する縄を必死にほどこうとする亜樹子を急かしながら、翔太郎は事の成り行きを見守っていた。の元恋人が、なぜここに? さっき彼女を襲っていなかったか?

「だが今はこうして強さを手に入れた! キミは言ったじゃないか! 僕が弱いからと―― だから強くなれば、キミも、」
「わたしが言ったのは、そういう強さじゃないわ。本当に何もわかっていないのね。だからダメなのよ」
「何故だ!!」

 まずい!翔太郎はフィリップを見た。手元にはファングがある。

「おい、亜樹子! 縄はいい!! 俺にベルトをつけろ、はやく!!」
「わ、わかった!!」

 言わんとすることを察した亜樹子の手によって翔太郎の腰に巻かれたベルトはフィリップの元にも表れる。“ジョーカー”とガイダンスボイスがメモリの名前を告げ、亜樹子はそれをベルトへと差し込んだ。

「変身!!」

 ガクリと、翔太郎の頭が下がる。Wファングジョーカーへと変身したフィリップと翔太郎はに向かって攻撃を放とうとする樋口に襲いかかった。

『この男も相当思い込み激しいみたいだな!!』

 目の前の状況に、はハッとして翔太郎を振り返った。彼は意識を失っている。しかし、目の前にはWがいる。つまりWは2人で変身していたのだ。相棒とはそういうことだったのか―― そしてその相棒がフィリップならば何もおかしいことではない。
 ファングジョーカー相手に防戦一方だった樋口はの視線の先の翔太郎に気づいた。彼女は弱い男に興味を持たない。だから力を手に入れたのに、どこまでも冷たい。その原因は、間違いなくこの男だ―― 樋口はそう思い込んでいた。
 ファングジョーカーの攻撃をかわし、その怒りを意識を失った翔太郎へと向けたのだ。「危ない!!」悲鳴のような亜樹子の声が響いた。拘束された翔太郎の体は動かない。爆音が響き、フィリップと翔太郎は呆然とその音の方向を見つめた。突き飛ばされた亜樹子が、力なく床に座り込んでいる。

『お前……』
「わたしの、」

 攻撃を受け、爛れた背中―― 翔太郎の体を抱きしめ、彼を庇ったのはだった。

「わたしの運命の人に手出しはさせない」

 振り返らないその表情は誰にも見えない。

「そう、やっと見つけたんだもの……」

 彼女は取り出したハンカチを意識を失ったままの翔太郎の手にそっと握らせた。それは色あせた、古いハンカチだ。10年以上前にこの風都で子供たちに人気だった“フウトマン”というキャラクターのハンカチ。その端にはマジックで名前が書かれていたがほとんど消えかかり、「ひ」と「ろう」がかろうじて読めるだけだった。

「何故だ……」

震える、低い声が響いた。

「何故だ……! 僕にも……そうした!! まさか、キミは」
「運命の人じゃないかと思うたびにこうしてきたけど、誰も意味を知らなかった。あなたも」

 ガイダンスボイスが、冷たく響く。

「一瞬でもあなたみたいな男を運命の人じゃないかと思った自分がバカだったわ」

 放たれた攻撃は、まるでそよ風のようだ。目の前のドーパントに樋口は恐れしか感じなかった。彼女を取り戻せない絶望と、死への恐怖が彼を襲った。
 今まで戦い続けて来たフィリップと翔太郎は次に起きることに気づいた。悲鳴、怒声、どれにも当てはまらない叫び声が響く。無差別だ―― 放たれた攻撃は、もう狙いを定めてはいなかった。そして咄嗟に亜樹子を庇おうと動いたWも無防備でしかなかった。

地下室に三度爆音が響く。置かれていた機械は破壊され、火花があちこちで散っていた。

「大丈夫?アキちゃん……」
「!? あたしは大丈夫だけど2人が……!!」
「僕らは平気だ」
『ああ……』

 亜樹子を庇う瞬間に見た。樋口が放った攻撃を、別の攻撃が弾き飛ばすのを。無傷の翔太郎の体の前に立つジェラシードーパントの足元で、色あせたハンカチが燃えていた。

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