ファングジョーカーの手でメモリブレイクされた樋口は意識を失っている。変身を解除した翔太郎は自分を縛っていた縄で樋口を縛り、フィリップや亜樹子の無事を目で確かめてから同じようにドーパントから変身を解除したに向き直った。

「おい、あんた何でフィリップも助けたんだ?」

 相棒の話をしたとき明らかに彼女は殺意を露わにしていた、亜樹子にもそうだ。翔太郎の傍にあるものは全て敵だとでも言うように。しかし、変身して意識は一緒だったとはいえフィリップの体であるファングジョーカーを彼女は助けてくれたのだ。
 翔太郎の問いに、は答えなかった。呆然と座り込み、床を見つめている。彼らははじめてその視線の先に燃えてしまった何かがあるのに気付いた。

 あの、ハンカチだった。

第 5 話 彼女が二度愛したS/忘れじの面影

 日は傾き始めていた。

 小学校1年生にはもう随分と遅い時間だ。人けのない寂れた公園で幼いは独り軋むブランコに腰かけていた。おろしたての綺麗なワンピースには母が特別にと言って付けてくれたバラのコサージュがある。そう、特別なのだ。
 俯いた彼女の瞳は綺麗に切りそろえられた前髪で隠されていた。しかしそこから溢れる涙を隠すことはできない。頬を濡らして真新しいワンピースにできる染みを、はじっと見つめていた。

 今日は特別だった。

 明るい気持ちで家に帰ると、家の中は騒がしかった。妹が熱を出したのだとメイドから聞いたとき、はたまらなく不安になったのだ。そしてその不安は当たってしまった。家族はみんな妹の心配ばかりで、「まだ今度」とか「我慢しなさい」と言うばかり。でも、特別なのは今日なのだ。

 だって今日がの誕生日なのだから。

 家を飛び出し、この公園でずっと泣いていた。家に帰りたくなかった。帰っても居場所なんてないように思えたし、みんな自分のことを忘れていると思っていた。涙だけがと一緒にいる。

「大丈夫?」

 不意に聞こえた声に、はびっくりして顔を上げた。滲んだ視界にぼんやりと輪郭が浮かぶ。やがてそれが自分と同じ年くらいの男の子だと気づき、は大きな瞳を何度か瞬かせた。

「どっか、痛いのか?」

の顔を覗き込んだその子をは知らない。年が上なのかもしれないし、違う小学校に通っているのかも。涙を拭いてあげようと思ったのか、男の子は手を伸ばした。しかしどう見ても汚れているそれに気づいて気まずそうに手をひっこめ、代わりにポケットからくしゃくしゃになったハンカチを取り出した。

「ほら」

 差し出されたそれにはキャラクターが描かれている。男の子たちの間で人気がある“フウトマン”だ。涙がたまった赤い目で男の子の顔とハンカチを交互に見つめていると、恥ずかしいのか不機嫌そうな顔をして男の子は無理やりの手にハンカチを握らせた。

「ふけよ」
「……でも、汚れちゃう、よ?」

 泣きすぎた声はうまく出ない。「いいよ」男の子はそう言って、隣の空いているブランコに乱暴に座った。

「なんで泣いてたんだ?」
「……今日、誕生日なの……」
「よかったじゃん、なんで泣くんだ?」
「妹がびょうきで、また今度ねって……パパもママもお姉ちゃんも、わたしの誕生日なんていらないんだよ……どうでも、いいんだよ……」

 口にすると、また涙が出てくる。

「わ、わたしもお姉ちゃんだから、がまんしなきゃ……でも……でも……」
「誕生日、今日だもんな」

 ぶっきらぼうに男の子は言った。

「泣くなよ……どうでもいいなんて思ってないよ」
「でも……若菜がいちばんだいじなんだよ……」
「おれがおまえのこと、いちばんに思っててやる」

 涙でいっぱいの瞳で、は男の子を見た。照れくさそうにそっぽを向いたその子は、がしゃんと大きな音を立ててブランコから降りた。

「ほんとう……?」
「そしたらもう、泣かないだろ?」

 よれよれのハンカチを、は見た。

「それ、お前にやるよ。約束のしるしだ。忘れんなよ」
「うん……」

 まだ頬は濡れていた。目も真っ赤だし、声もかすれている。それでもは笑顔を向けた。そうすれば男の子が笑い返してくれると知っているように。
 ハンカチはよれよれで、最初ははっきり書いてあったであろう男の子の名前も、数文字しか読むことができない。きっとお気に入りだったのだ。は涙を拭いた。

「お前に――

 燃えてしまった。思い出までなくなってしまったようだ。運命の人は、あの男の子はもう自分のことなんて覚えていない。そんな思いがを襲った。いや、本当は覚えているはずもないのだ。昔のことを―― だけが、覚えていた。炎がその現実を突きつけていた。

「ほら」

ぶっきらぼうな声と共に、の視界にウインドスケールのハンカチが差し出された。
 顔を上げると照れくさいのか不機嫌そうな顔をした翔太郎がいる。涙は止まることなく溢れていたが、はその姿をはっきりと見ることができた。

 きっとあの男の子は忘れてしまった。

「お前に、涙は似合わないぜ」

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