リーマスの言葉は、シリウスの胸にほんの僅かな棘さえ残すことができませんでした。
あれから彼は少しも変わることなく、毎日を過ごしておりました。とは、やはりほとんど話しませんでした。ただ、少しの挨拶と視線を交わしただけでした。
その日もシリウスは授業を終えて、ピーターと2人で廊下を歩いておりました。
頭の中でがんがんと鐘が鳴っています。ピーターが心配そうな視線をよこすのに、シリウスは気がついていましたが、それに答えることはできませんでした。ひどく嫌な気分でした。
「パッドフット……」
沈黙に耐え切れなくて、ピーターは口を開きました。
「戻らなくていいの?」
戻る! そんなことできるはずもないのに!
さっき見かけたばかりの光景を、シリウスは脳裏によみがえらせました。
人けのない廊下にある、誰も使わないような空き教室。ほんの少し開いた扉から、シリウスとピーターは見てしまったのです。それは、好奇心でした。
あの時、教室から響いた大きな物音に興味をそそられて、シリウスは何気なくその扉の向こうをのぞきました。何人かの黒いローブが見え、その中心に、シリウスはあの銀色を見つけたのです。銀色の髪なんて、このホグワーツで以外に持っている人間がいたでしょうか。
「助けないの?」と、ピーターはたずねました。シリウスは答えませんでした。ひどい悪口が、扉越しに聞こえてくる中、シリウスは逃げるようにしてその場を後にしたのでした。
彼女はあの後、どうしたのでしょうか。結局、シリウスはピーターの言葉に従うことをしませんでした。
夕食後、寮に戻るまで、シリウスはの姿を見かけませんでした。シリウスが友人と談話室に戻ってきた時、彼女はその隅のほうで、独り静かに本を読んでいました。いつもの光景です。昨日も一昨日も、毎晩が夕食の後、ああして独りで本を読んでいることをシリウスは知っていました。
しかし、何故でしょう。今日はその光景が、いつもと同じすぎて、いつもと違って感じるのです。シリウスは、黙っての方に近づきました。
顔を上げたの銀色の瞳が、静かにシリウスを見つめています。
「やあ」
シリウスは、何と声をかけたらいいかわからなくて、短くそう言いました。「どうしたの?」と、はたずねました。
「君の姿が見えたから……」
シリウスのその言葉に、は心から不思議そうな顔をしました。彼と形だけは恋人同士になってしばらくたつけれど、そんな言葉をかけてもらったのは初めてだったからです。
シリウスはそれ以上、何も言いませんでした。立ったまま、をじっと見つめていました。その視線にどこか気まずさを感じたが彼に座ることをすすめたとき、シリウスはやっとから視線をはずし、男子寮の入り口で彼を呼ぶ友人たちのほうを向きました。
「シリウス」
ハッとしたように、はシリウスを呼びました。彼の名前を呼ぶだけで、胸が一杯になるのです。そしてそれで彼が振り返ってくれるなんてことは、にとってこの上ない幸福でした。
「おやすみなさい」
俯いたは、確かに微笑んだようでした。少なくともシリウスにはそう見えました。何てかなしい笑顔なんだろう。シリウスは、唐突に、の何もかもがかなしく見えるようになりました。
あんな風に陰でいじめられた後も、いつもと同じように過ごしている。彼女にとっていじめは、もう日常の一部なのでしょうか。シリウスはたまりませんでした。の「おやすみなさい」に返事をすることができないまま、シリウスは踵を返し、自分を呼ぶ友人の方へ向かいました。
どうしてあの時、がいじめられているのを見て見ぬふりをしてしまったのだろう。
を助けていたなら、このかなしい日常も何か違っていたかもしれません。しかし、そんなこと、シリウスにはできっこありませんでした。何しろ今朝まで、シリウスだってを陰で笑っていたのです。それなのに、どうして彼女を哀しい日常から救い出せると言うのでしょうか。
立ち去るシリウスの背中を、は寂しそうに見つめていました。シリウスは、何にも気づくことがないまま、寮に戻っていったのでした。