第三章
シリウスと

「いいじゃない、別に」

 何てことないようにルナが言うのに、リリーはイライラを募らせた。最近ずっとこの調子だ。理由はわかっている。が、あのシリウス・ブラックと急に親しくなったからだ。

 付き合っていないと本人は言っていたけれど、2人は四六時中一緒にいた。それがリリーには気に入らなかった。何しろあのシリウス・ブラックだ。リリーがこのホグワーツでジェームズ・ポッターと同じくらい嫌いな同級生だった。目立ちたがり屋で、悪戯ばかりして……少し顔と頭がいいからって。

「リリー、1年生の時みたい」

 ベッドにうつ伏せに寝転んで、ルナが楽しそうに言った。1年生の時を思い出しているのか、悪戯っぽい笑みが口元に浮かんでいる。

「何が?」
「1年生の時もそうやって、シリウスにイライラしていたじゃない。とシリウスが話してるのを見て」

 リリーはその綺麗な眉を顰めた。ルナがますます楽しそうな顔をしているように見えた。
 確かに彼女の言う通り、1年生の時もシリウスがに話しかけているのを見てこんな風にイライラしていたことがあった。忘れていたわけじゃない。そのことがきっかけで、ともルナとも仲良くなったのだし。
 でもあの頃とわけが違うのだ。確かにシリウスはあの頃から悪戯ばかりしている問題児だったけれど、それでも今の彼と比べれば可愛いものだと思えるから。

 シリウスが女子生徒とどういう付き合い方をしているのか、リリーも知っていたし、ルナだってもちろん知っている。だからがその毒牙にかかるなら見ているだけではいられない。
 そうでなくても一緒にいられる時間が減っていることが気に入らないのに、もしそんなことになったら……そう思うと、リリーはますますイライラしてくるのだ。

「でも、今度はあんまりイライラしてるとに気づかれるよ」

 ルナの言葉はほんの少し忠告めいていた。気づかれたらきっとは気にするだろう。リリーにもそれがわかっていた。でも、イライラするものは仕方ないのだ。

「善処するわ」

 ひと言そう告げたリリーに、ルナは苦笑いをしてみせた。

「いい加減にしてくれよ」

 シリウスが突然リリーの前に立ったのは、それから数日後のことだった。彼は見るからに不機嫌そうで、リリーも思わず眉を顰めた。

「何?」
に何を言ったんだ?」

 

 リリーは思わず首を傾げた。がどうしたというのだろう。

「どうせエバンズがに、僕と一緒にいるなとか言ったんだろう?」
「そんなこと言ってないわ」

 思ってはいるけれど。

 憤慨しながら、リリーは言った。「それなら」とシリウスはほとんど睨むようにリリーを見下ろした。

「彼女が最近僕との時間を作ってくれないのは何でなんだ?」
「知らないわ」

 リリーの口調はきっぱりしていた。何だか腹が立ってきた。シリウスの言い方は、まるでが自分の恋人であるかのようだ。そんなこと、許せなかった。は彼が付き合ってきたような女の子たちとは違うのだから。

「大体、あなたはの恋人でも何でもないじゃない。あなたとが一緒にいる時間が少ないことに何の問題があるの?」
「それは……」

 怯むシリウスを、リリーは真っ直ぐに睨みつけた。絶対に言い負けたくない。

「恋人じゃなくても友達だ」
「わたしだっての友達よ。親友なの」

 シリウスはそれ以上何も言えないようだった。リリーはフンと鼻を鳴らし、踵を返すと颯爽とその場を後にした。

 でも、シリウスがとの時間を取れていないという事実だけは、リリーの心の奥に引っかかっていた。

 ―― でも、今度はあんまりイライラしてるとに気づかれるよ

 ルナの言葉が脳裏を過る。確かに、自分はあからさまにイライラしていた。もしかしたらそれをに気づかれて、彼女は気にしたのかもしれない。のことだから……。溜息が1つ、漏れる。

 隣で本を読むの横顔を、リリーは見た。はいつもと変わらなかったし、それは授業中でも食事の時間でも同じだった。談話室にシリウスの姿は見えない。もし、シリウスが談話室のどこかにいたら、はどんな顔をするだろうか。やはり、気にするだろうか。

 リリーももルナも、お互いにお互いのことを親友だと思っていたけれど、3人が3人とも「親友だから」というベタベタした関係は好んでいなかった。だから無理に一緒にいようということは少なかったし、一緒にいても同じことをしているわけではなかった。

 だから、よく考えてみれば、がこうして自分たちと行動を一緒にすることはほんの少し不自然なのだ。
 自分たちの中で、が一番1人でいる時間が多いことをリリーは知っていた。よく図書館にいたり、どこか散歩に行ってしまったりする。
 シリウスに声をかけられてからのことを少し気にして見るように心がけ、リリーはが普段よりずっと自分たちと一緒にいることに気づいた。今だって、普段ならはよく図書館にいる時間だ。

「最近、ブラックと一緒にいないのね」

 さりげなく、リリーはたずねた。はごく自然な動作で顔をあげ、不思議そうにそんなリリーを見つめた。

「この間まで、よく一緒にいたじゃない」

 自分の口調は、責めるようになっていないだろうか。「そんなことないわ」とが答えた。その声の響きは、いつもと変わらないように聞こえる。

「わたしに気を遣ってるなら」

 リリーの言葉に、は困ったように微笑んだ。

「気にしなくていいのよ」
「そういうのじゃないのよ」

 でもそういう風に思ってしまう。イライラしていた自分に気を遣ったのだと。リリーは何だか急に申し訳なさを感じた。

 は、

 リリーははっきりとした口調で言った。

「わたし、言われたの。最近と一緒にいる時間が減ったって。ブラックに」
「えっ?」

 の頬が、ほんの少し赤らんだのを、リリーは見逃さなかった。

 は、ずっとブラックが好きだったのに。

 今でもそうだと、リリーは知っていた。

「確かにわたしはブラックたちが好きじゃないけど、の恋を邪魔しようだなんて思ってないのよ」
「恋、だなんて……」
「わたしのことは気にしないで」
「リリー」

 は膝に開いたままだった本を閉じ、リリーにしっかりと向き直った。

「確かに、ブラックくんのことは、その……好き、だけど。わたしは同じくらい、リリーのこともルナのことも大事に思ってる。だから、この頃はブラックくんばかりだったかなって……リリーが彼のことをどう思ってるかわかってるし、その……」
「それが気遣いよ、

 リリーは優しく言った。

がブラックと一緒にいたいなら、気にすることはないのよ。それは……わたしはあの人が好きじゃないし、ちょっとイライラするけれど……」

 「の恋は応援したいもの」リリーは告げた。ははにかんだように微笑んだ。

「でも、わたしは好きな人に夢中になりすぎて、大事な友達をないがしろにしたくないの。わたしがそうしたいのよ」

 銀色の瞳が真っ直ぐにリリーを見つめていた。「ありがとう、」リリーは大事な親友をぎゅっと抱き締めた。
 の気持ちが嬉しい。ほんの少し、リリーはの恋に協力しようと思った。応援しても、協力する気にはずっとなれなかったけれど。

 相手がシリウス・ブラックでもね。

 ほんの少し、不安は残っていた。それでもリリーは、自分のイライラがなくなっていることに気がついた。

 

 ガタンと大きな揺れが伝わり、リリーは汽車がキングズ・クロス駅に到着したのだと知った。黙ってリリーは降りる準備を始めたが、同じコンパートメントに座っているルナはまだぼんやりと窓の外を見つめていた。

「降りないと、ルナ」
「うん……」

 のろのろと、ルナは立ち上がる。彼女は降りることをためらっているように見えた。

「何だか汽車から降りたら、本当にに二度と会えなくなるような気がして……」

 「どうしたの?」というリリーの問いに、ルナは沈んだ声で答えた。ルナらしくない声……しかし、リリーの心もその声のように沈んでいく。
 そうかもしれないと、リリーは思った。汽車から降りれば、自分たちはもうホグワーツに関わることがほとんどなくなってしまう。もうホグワーツの生徒ではないのだから。が消えてしまったホグワーツに、自分たちはもう戻れないのだ。

「それでも、降りないと」

 リリーはルナを促した。どうして、こうなってしまったのだろう。はいなくなってしまったのだろう。あの日から、もう何度もくり返し頭の中でその問いをくり返した。

 とシリウスが付き合ったのが悪かったのだろうか。

 自分はもっとあの恋に反対していればよかったのだろうか。

 でも、リリーはもう前のようにシリウスを嫌っていなかったし、何より今のシリウスの姿を見ると心からそう思うことはできなかった。反対していればなんて……だって少なくとも最初のうちは幸せだったのだから。誰の目から見ても、それは明らかだったのだから。

 「行きましょう」と、リリーは静かに告げた。2人がいなくなったコンパートメントが、寂しげに佇んでいた。

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