第四章
ハロウィーンの夜に

 「どこに行きたい?」とにたずねれば、は困ったように曖昧に微笑んだ。

 久しぶりのホグズミード週末に、浮き足立っているのはシリウスだけではなかった。他の生徒たちもどこか落ち着かない雰囲気を身にまとっている。マクゴナガルが「決して1人では行動しないように」といつもの厳格な口調で言ったために、誰もが友人や恋人と並んで歩いていた。
 シリウスとはいつもそうしているようにほんの少し距離を取って、それでも決して離れることなくぴったり隣を歩いていた。シリウスが何となく視線をやれば、の緩やかなウェーブのついた銀色の髪が彼女が歩くたびに、さらりさらりと揺れていた。

「行きたいところがあればそこに行こう」
「わたしは……特にはないから……」

 その心から困ったような口調に、シリウスは彼女が本当に行きたいところがないのだと覚った。

「それなら、いつもはどんなところに行くんだ?」
「いつも?」

 は少し考えるように首を傾げた。

「『ダービッシュ・アンド・バングズ』とか、『ハニーデュークス』とか……それから、『三本の箒』とか、かな……? あとは、リリーとルナと、色々村の中を歩くくらい。他の人と変わらないわ。ブラックくんは?」
「僕?」

 はこくりと頷いた。シリウスはほんの少し戸惑いを覚えた。いつもなら、ホグズミードで並んで歩いたことのある「彼女」たちなら、自分の行きたいところは主張してもそんな風にシリウスにたずね返すことなんて、しない。

「僕は……まあ、『三本の箒』は行くけど、やっぱりほとんどゾンコで時間を潰すよ。いつも新作が出てるし、見ていて飽きないから」
「わたし、ゾンコって行ったことがないの」

 は頬をバラ色に染めて言った。

「その、リリーがそういうのが嫌いで……」
「知ってるよ」

 シリウスは何でもないように言った。真面目なリリーが自分たちの悪戯や行動をどう思っているかはシリウスはよく知っている。知っていて気にしていないだけだ。

「でも、ルナはいつも行きたそうにするの。お店の前でわざと立ち止まったりして……」

 ルナが興味を持つのもわかる気がした。ルナはリリーと仲がいいくせに、騒ぎが起きると楽しそうにしている。シリウスも何度かそんなルナを見たことがあった。「それなら」シリウスは口を開いた。

は?」

 はぱちりと瞬きをして、シリウスを見上げた。リリーでもルナでもなく、シリウスはのことが知りたかった。

は? どう思ってる?」
「わたしは……あんまりひどい悪戯は、好きじゃないわ。誰かに迷惑かけたり、酷いことをしたりするような……」

 静かだが、はっきりとした声がシリウスの耳に突き刺さった。自分が去年やったことを言われているような気がした。

 でも、あれは僕が悪かったんじゃない。

 相手がこそこそこちらを探って退学にさせようとしていたから、懲らしめてやっただけだ。でも、はそれも許せないのだろうか。

「そうじゃなければ……みんなを楽しませたり笑顔にしたりすることって、とても素敵だと思うから」

 「そうか」と、シリウスは口早に相槌を打った。の言葉は嬉しかったけれど、その前のひと言が耳に突き刺さって離れずに、シリウスの鼓動はひどく騒がしかった。

「ゾンコに行ってみる?」

 それを振り払いたくて、シリウスは唐突にそうたずねた。は驚いたように目を丸くした。

「ごめん……嫌ならそう言ってくれれば……」
「ううん、そんなことないわ」

 まだ少し驚いたように、は言った。それから、ほんの少し頬を赤らめて、その銀色の瞳を伏せた。

「わたし、ゾンコって1度行ってみたかったの。でも……」
「エバンズのことが気になるのか?」

 思い当たる理由を、シリウスはたずねた。はきっと、悪戯が嫌いな彼女の親友が、自分がゾンコに行ったのを知れば嫌な気分になるだろうと思っているのだ。そして案の定、彼女は小さく頷いてそれを肯定した。

「エバンズには、秘密にしよう」
「えっ?」
「1度くらい行っておかないと、もったいないからさ」

 悪戯っぽくシリウスは笑った。は戸惑ったような顔をしたが、すぐに嬉しそうな笑顔を向けて、今度は大きく頷いてくれた。

 シリウスの杞憂は店にジェームズたちがいないかどうかということだけだった。しかし、杞憂は杞憂のまま終わってくれた。悪戯用品が所狭しと並べられた雑然とした店内に、あのどこに行っても目立つ親友の姿は無かった。
 は興味深そうに店内をきょろきょろと歩いている。店に一歩入って、ジェームズがいないことを確認した今は、シリウスはそんなを気にしなければいけなかった。他のものに気を取られすぎて、人にぶつかりそうになるし、何も無くても転びそうな時もあった。
 それでもが楽しそうなことに、シリウスは思わず笑みを零した。その姿はいつもよりぐっと子供っぽく見えるし、可愛らしい。

「気になるものでもあった?」

 笑いながら、シリウスは何度目か転びそうになったを支えた。

「えっ?」
「楽しそうに見てるからさ」
「そう……?」

 頬を真っ赤に染めて、は少し視線を下に向けた。

「ただ、見たことないものがたくさんあって、面白いなって」
「充分さ」

 はにかんだ微笑みを見せたは、周りが見えなくなるくらい夢中になっていたことに気づいたようだった。シリウスは明るい気分だった。が楽しんでくれたことで自分も楽しいような気がした。

「あっちにも行ってみよう。新作の花火が出てる」

 シリウスはの肩を押して、人が集まった新製品が置かれているコーナーに向かった。バチバチと大きな音を立てて、見本の花火が赤や緑や紫の光を放っている。それは突然パッと光を消し、また唐突に、爆発するような音を立ててまた光を放ち始めた。
 ジェームズたちはこれを買ったんだろうか? そんなことを考えながら、シリウスは隣で目を瞬かせているに視線をやった。

「花火って、どうしてこんなに色んな色の火が出るのかしら?」
「そんなこと考えたこともないな。でも何かの魔法だろ?」
「でもマグルの世界にも花火はあるって、前にリリーに聞いたの。マグルは魔法を使えないでしょう?」

 首を傾げて自分を見上げるは可愛いと、シリウスは心底思った。

「じゃあ、今度図書館で調べればいいさ」

 リリーに聞いてみればいいとは言えなかった。図書館で―― それならきっと、と一緒に花火について調べることができるだろう。

 ゾンコの次は「ダービッシュ・アンド・バングズ」に寄り、それから「三本の箒」でしばらく時間をつぶした。バタービールを飲まなくても、シリウスの胸は十二分に満ち足りていた。
 今日、見たもののことを色々話しながら2人は楽しい時間を過ごした。も珍しく声を立てて笑っていた。今まで以上に彼女との距離が縮まった気がして、シリウスは心底を誘ってよかったと思った。

 夕食の時間が近づき、シリウスとは行きと同じように並んでホグワーツに帰ろうとする生徒たちの流れに加わった。話尽きてしまったように、そして2人の間に流れる温かな空気を感じるように、シリウスもも言葉少なだった。

 幸せだと、シリウスは思った。

 そっと隣を見れば、の銀色の髪がさらりと風に煽られていた。の白い頬は夕日で薄らと赤く染まっている。

 シリウスは、そっとの名前を呼んだ。星を浮かべたような銀色が自分を映したのを見たとき、シリウスは心に灯が点るのを感じた。

「ありがとう。今日は楽しかったよ」
「わたしも」

 綺麗には微笑んだ。

「楽しかった。誘ってくれて、ありがとう」

 少し首を振り、シリウスはポケットに手を突っ込んで、そこから少しくしゃくしゃになった紙の袋を取り出した。

「これ、今日の記念に」

 不思議そうな顔をして、はそれを受け取り、中を確かめた。入っていたのはゾンコで見た新作の花火だった。「どうして?」と彼女はたずねた。

「花火が好きそうだったから」

 悪戯っぽく笑ってそう言ったが、今日の記念のつもりだというのは本当だった。自分の分との分の1つずつを、シリウスはこっそり買っておいたのだ。戸惑いながらもは嬉しそうに笑って、また小さく「ありがとう」と言って、そっと大事そうに花火を鞄の中にしまった。

「花火とか……夜空に浮かぶものは何でも好きなの」

 不意に、はそう言った。

「真っ暗な夜空にパッと光が映えるのって、とても綺麗。月を見るのも好きだし、それに……」

 言葉を切って俯いたを、シリウスは見つめた。何となく、彼女の頬が赤いのは夕日のせいだけではないような気がした。

「星を見るのが1番、好き。ブラックくんも――
「えっ?」
「星の名前ね」

 小さく綺麗な微笑みを浮かべたは、どこか照れているようにも見えた。シリウスは胸の奥がざわめくのを感じた。それを誤魔化すようにから視線を逸らしたのに、一層酷くなっていくばかりだった。

「それで、何か収穫はあったのかい?」

 部屋に戻ると、親友たちはもうだいぶ前に帰ってきていたのか、新しく買った悪戯用品を床一杯に広げて、次の悪戯について相談している真っ最中だった。上着を脱いで鞄と一緒にベッドに放り投げると、シリウスはその輪に加わるべく、ジェームズの隣に腰を下ろした。それなのに、ジェームズは何故かその話し合いを中断し、シリウスに今日1日のことをたずねてきたのだった。

「収穫、ね」

 ジェームズ達が買ってきたものを物色しながら、シリウスはさして興味はなさそうに呟いた。ジェームズがからかいのネタを探しているのはわかりきったことだったし、わざわざそれを与えるつもりは無かった。もちろん、あの胸のざわめきのことを彼に相談するつもりもなかった。

「まさか何の進展もなかったわけじゃないだろ?」

 ジェームズが大げさに驚いて言った。

「キスくらいはしたのかい?」
「付き合ってるわけじゃないんだ。するわけないだろ」
「付き合ってないの?」

 呆れたようにシリウスがそう言うと、何を思ったのか、急にリーマスが口を挟んだ。

「何だよ、ムーニー」
「君、ここに戻ってくるまでの間に何も聞かなかったのかい?」
「だから、何が?」
「みんな、パッドフットの新しい彼女はだって言ってたよ」

 驚いたように目を丸くして、ピーターが口早にそう言った。

「何だって?」
「ホグズミードで君とが仲良く歩いていた。恋人同士みたいだった。ってね。まあ、君が気付かなかったのも仕方ないかもしれないな、パッドフット。君、どうせ寮までと一緒で周りの声なんか聞いてなかったんだろ?」

 ニヤニヤと笑うジェームズに、シリウスは思いっきり眉を顰めた。確かに寮までと一緒だったし、自分たちが誰かとすれ違うたびに、その誰かは何かヒソヒソと話していた気がする。それも、自分たちを見て。
 しかしジェームズの言うとおり、シリウスはそのヒソヒソ話にこれっぽっちも聞き耳を立てなかった。の声を聞くことに夢中だったし、あの胸のざわめきはまだどこかでくすぶっていて、それを押し込めるのにも必死だった。

「君のファンはのこと、どう思うかな?」

 冗談なのか真剣なのかわからない口調でジェームズは言った。

「何かあったらちゃんと僕が守るさ」

 目の前の悪戯用品の山に、シリウスは今日と2人で買ったあの新作の花火の束を見つけて拾い上げた。

「君からそんな言葉が聞けるなんてね」
「そういえば――

 からかうようなジェームズの言葉を遮って、シリウスは呟くように言った。

「収穫もあったな」
「何だい?急に」

 怪訝そうな顔をするリーマスを、シリウスは持っていた花火の束で指した。

は花火が好きらしい」

 ニヤリと笑うシリウスの頭の中には、新しい悪戯の計画ができあがっていた。

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