第四章
ハロウィーンの夜に

 のためにとっておきの花火を作ろうとシリウスは思った。ホグズミードで買ったあの新作の花火よりすごいものを。
 と2人で出かけたあのホグズミード週末以来、シリウスたちはハロウィーンのための計画を練ることに夢中になっていた。

 授業を進める教師の声が右から左へと流れていく。板書を写すフリをしながら、シリウスは花火の作り方をメモした羊皮紙に新しく何かを書き込み、隣にいるジェームズのほうへそれをさりげなく押しやった。ジェームズはずり落ちそうになるメガネを直しながらそれを確かめ、また何かを書き込み、シリウスがしたように羊皮紙を返してくる。
 シリウスはジェームズのメモを確かめながら、いつの間にか進んでいた教科書を捲った。授業を聞いていなくても、教科書のどの辺りを教師が説明しているかわかっていれば、突然の質問にもシリウスなら対応できた。もちろん、ジェームズだって同じだ。その才能は2人の計画書作りに多いに役立った。
 再びジェームズに計画書を渡し、シリウスは黒板に近い席に座るの銀色の髪の見つめた。彼女の隣にはリリーとルナがいて、3人とも真面目に授業を受けているようだった。はこの計画が成功した時、喜んでくれるだろうか。

 ホグズミードでの会話を思い出すたびに、シリウスは胸の奥がざわめくのを感じた。夜空に上がる花火が好きだと言った彼女。それに

 ―― 星を見るのが1番、好き。ブラックくんも……星の名前ね。

 はにかんでそう言ったの表情をシリウスははっきりと思い出すことができた。

 

 彼女はあの言葉を言ったとき、何を思っていたのだろうか。きっと深い意味はないはずだ。それでもシリウスはあの言葉を忘れることはできなかった。

 ジェームズが肘で自分を呼ぶのに気づき、シリウスはハッとしてから視線を逸らした。どれだけ彼女を見つめていたのだろう。
 ジェームズはさっきよりも少し慎重に羊皮紙を渡してきた。黒板の前にいる教師の視線はその手元の教科書に向いている。ジェームズが慎重になるのは、その教師がマクゴナガル並に厳しいと評判の男だからだろう。しかも目の前の計画書はもうかなり書き込まれていて、完成間近だ。没収されるなんて真っ平だった。
 シリウスはジェームズを肘で突いて呼び、羊皮紙を彼の方に押しやろうとした。

「あ―― っ!」

 ジェームズの声が響いた。彼の手元に行くはずだった羊皮紙が宙を舞い、真っ直ぐに黒板の前に立つ、自分たちに杖を向けている教師の手の中に収まった。
 しまったと、シリウスとジェームズは同時に顔を顰めた。涼しげな顔で羊皮紙に目を通す教師の顔がひどく憎らしかった。

「それで」

 冷たいブラウンの瞳がシリウスたちを捕らえた。

「君たちは私が授業を進めるのに夢中でこんなメモを回していることに気付いていないと思ったわけだな」

 カツカツと靴の音を響かせ、教師は真っ直ぐにシリウスの横に立った。その骨ばった手にある計画書をシリウスは何とかして取り戻したかった。のために立てた計画書を。

「グリフィンドール5点減点」

 持っていた杖で机を叩きながら、教師はそう告げた。そして冷たい声がシリウスの耳に届くのと同時に、教師の手中にあった計画書は熱い炎の中で灰になってしまった。シリウスは愕然と灰になっていく計画書を見つめた。

「君たちももう6年生なら、こんなくだらないことは一切止めるべきだな。少しは真面目に授業を受けたまえ」

 何事も無かったように黒板に戻る教師の背中に、シリウスは隠すことなく憎々しげに舌打ちをしたのだった。

 昼食のサラダに入っていたミニトマトを勢いよくフォークで突き刺せば、中身が簡単に飛び散った。シリウスはつぶれたトマトをレタスと一緒に口に放り込み、苦々しさと一緒に奥歯で噛み潰した。

「グリフィスの奴!」

 パンをボロボロにちぎりながら、ジェームズが悔しそうに教師の名を口にした。

「見たか? あの計画書を燃やした時のあいつの顔! 勝ち誇ったように僕らを見下してさ!」
「少しは落ち着きなよ、プロングズ」

 どこか呆れたような口調でリーマスがたしなめた。

「計画書を没収されたのは仕方ないことだよ」
「仕方ないだって!? そんなことあるもんか! ムーニー、それに、没収じゃなくて燃やされたんだ!」
「どっちも一緒さ。目の前だったか後だったかの違いだよ。そんなに怒るなら、最初からグリフィスの授業で計画書を広げるべきじゃなかったんだ。今まで1度だってあの授業でグリフィスにばれずに悪戯の計画を練れたことが、僕らあったかい?」
「それは……!」

 リーマスの言うことは正しかった。確かにグリフィスの授業で―― 「闇の魔術に対する防衛術」だが―― 悪戯の計画をしていてばれなかったことは1度だって無かった。どんなにうまく隠しても、何故かいつもあの教師に見つかって減点されてしまうのだ。

「これからどうするの?」

 リーマスの言葉に少し落ち着きを取り戻したジェームズに、ピーターがおずおずと声をかけた。

「また計画を練り直すの?」
「それは僕が決めることじゃないよ」

 肩を竦めたジェームズが視線を向けたのに気づいて、シリウスは片眉を上げた。

「もともとあの計画はパッドフットがはじめに言い出したんだ。これからどうするかなんてパッドフットに聞きなよ」
「パッドフット?」

 意見を求めるように自分を呼んだピーターに、先ほどのジェームズと同じようにシリウスは肩を竦めて見せた。
 言うまでも無く、シリウスは計画を一から立て直したかった。しかし、完成間近の計画書を燃やされた苛立ちが今は強くて、すぐにそれに取り掛かる気にはなれなかった。それに……シリウスは食後の紅茶を飲み干し、席を立った。それに、今からは予定がある。

「どこか行くのかい?」

 スープをかき混ぜながら、リーマスがたずねた。

「どうせ図書館さ」

 シリウスが答えるよりも先に、ジェームズがさして興味もなさそうに答えた。そんな親友を一瞥し、シリウスは鞄を掴むと、足早に大広間を後にしたのだった。

 ジェームズの言葉は大方はずれだ。シリウスは真っ直ぐ寮に向かい、「太った婦人」に合言葉を言って入り口をくぐった。もちろんこの後、図書館に行くのだけれど。

「ブラックくん」

 鈴の鳴るような声が自分の名前を紡いだのが聞こえて、シリウスは声の方に視線をやった。もう昼食をすませたのだろう。がリリーやルナと一緒に、暖炉の前のソファに座っていた。

、ここにいたのか」

 「てっきりもう図書館だと思ったのに」シリウスは口の中でそう呟き、の銀色の瞳を見返した。は、まさか自分を待っていたのだろうか? ほんの少しの申し訳なさを、シリウスは感じた。さっきの授業の愚痴ばかりこぼしていたせいで、いつもより昼食に時間を食ってしまっていたから。

「ブラック、あなた、寮の得点を確かめた?」

 が何か言うより先に、彼女の隣にいたリリーが唐突に口を開いた。

「さっきの授業のこともそうだけど、あなたたちの減点のせいでグリフィンドールは最下位よ」
「クィディッチのシーズンが始まればすぐに取り返せるさ」
「あら、いつも優勝できるとは限らないじゃない」

 リリーの鋭い視線に、シリウスはムッとして彼女を見返した。グリフィンドールチームが弱いとは思っていなかったが、リリーの言うとおり、確かにいつもは優勝していない。だが、その言い方はないだろう。

「そう思うならやたらと減点するグリフィスに文句を言うんだな」
「グリフィス先生は間違ったことをしているわけじゃないわ。あなたたちがあまりにも――
「もうそのくらいにしときなよ、リリー」

 どこか呆れたような視線をリリーに向けて、ずっと黙っていたルナがのんびりと口を開いた。

「確かにシリウスたちは減点ばっかりされてるけど、その分加点されてもいるんだしさ……それに、何を言っても無駄な気がするけど」

 ルナがそう言いながら送ってきた視線に、シリウスは肩を竦めるだけで答えてみせた。

「荷物を置いてくるよ」

 もうこの話は終わりだと、にひと言だけそう言って、男子寮の自室へとシリウスは駆け上がっていった。

 図書館へ向かう間、がどこか落ち着かなさそうにしているのに、シリウスは気付いていた。何か言いたそうに自分の方をちらちらと視線をやっては俯いてを繰り返している。

「どうかしたのか?」

 どうしても気になって、シリウスは思い切って自分からに問いかけた。一瞬、彼女は気まずそうに視線を逸らしたが、やがて小さく口を開いた。

「さっきのリリーの話じゃないけれど……」

 呟くようなその声は、どことなく不安そうだった。

「さっきの授業の……あれって、悪戯の計画が書いてあったんでしょう?」
「興味あるのか?」

 悪戯っぽく笑ってそう言うと、は小さく首を振り、眉を顰めてシリウスを見上げた。

「そうじゃなくて……わたし……その、あまり、無茶をしないで」
「無茶って?」
「計画だったから減点だったけれど、実行してたら罰だったかもしれないわ。グリフィス先生は、厳しいし……」
「罰なら慣れてるさ」

 皮肉混じりの言葉に、は困ったように俯いてしまった。あぁ……シリウスは思わず頭を抱えたくなった。さっきの時間の苛立ちが、まだ残っているようだった。これじゃあ、に八つ当たりしているようなものじゃないか。何もかもあのいけすかないグリフィスのせいだ。

「ごめん」

 立ち止まってそう言えば、一歩進んでしまったが不思議そうに振り返った。

「こんな風に言うつもりなかったんだ。ただ、計画書を燃やされて、ちょっとイライラしてたから……」
「ううん」

 まだ少し俯いていたけれど、首を横に振ったの声の響きが気にしていないと言っていて、シリウスはほっと胸を撫で下ろした。

「あの計画書、ハロウィーンにやろうと思ってた悪戯のだったんだ」
「ハロウィーンに?」

 そう言って首を傾げるに、シリウスは小さく頷いた。

「この前のホグズミードで、、花火が好きだって言っただろ? それで思いついたんだ」

 は不思議そうにシリウスを見上げていた。それが何となく気恥ずかしくて、シリウスはそっと視線を逸らして廊下の窓の向こうを見た。

が、喜んでくれたらと思ったんだ……それで」
「えっ? わたし……?」

 ちらりと視線を戻すと、は驚いたように目を丸くし、それからその頬をバラ色に染めた。再び俯いてしまったその表情には、戸惑いと、そして少しの喜びが表れているような気がして、シリウスは自分の顔まで熱くなるのを感じた。

「人を喜ばせる悪戯なら、いいんだろ?」

 誤魔化すように悪戯っぽい笑みを浮かべ、シリウスはそう言った。少し視線を上げたの顔が笑顔で、それがまた嬉しかった。

「ありがとう……でも、それでブラックくんたちが減点とか、罰を受けたりしたら、わたし……」

 は、言葉とは裏腹に嬉しさが隠し切れないようだった。笑顔を抑えられず、口元に手を当てて表情を隠そうとしていた。わかりやすい表情をするが何だかおかしくて……それが可愛らしくて、シリウスは思わず笑ってしまった。

「わたし、何かおかしいこと言った?」
「いや、何でもないよ」

 シリウスはまた少し笑って、再び図書館に向かって足を動かした。追いかけてくるがまだよくわからないというような顔で自分を見ているのがわかったが、彼女はそれ以上何も言わなかったから、シリウスもそれ以上何も言わないことにした。

「ブラックくん」

 それでも少し歩くと、鈴の鳴るような声がシリウスをそっと呼んだ。シリウスは視線だけに向けた。銀色の瞳は伏せられている。笑顔は少し影を潜め、彼女はどこか不安そうな顔をしていた。

「もう、しないでね」

 何を、と聞き返す必要はなかった。

「気持ちは貰っといてよ」

 視線を戻しながらそう言ったシリウスの耳に、が小さく「うん」と頷いた声が届いた。

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