第四章
ハロウィーンの夜に

 結局シリウスが再び計画書を作り直すことは無かった。作り直してハロウィーンにそれを実行しても、きっとは喜ばないだろうとシリウスは思っていた。「もうしないで」と言ったのは彼女だったから。
 図書館で「薬草学」の本を読むは、いつもと何も変わらない。ハロウィーンがもう明日に迫っていて、今日は授業中ですらほとんどの生徒が明日の宴会に思いをはせて浮かれていたというのに。シリウスはから窓の外へと視線を移した。もうほとんど太陽は見えなくなっていた。そろそろ夕食の時間だろうか。

 読書を中断させてしまうことにほんの少し申し訳なさを感じながら、シリウスはに声をかけた。の銀色の瞳は自然にシリウスの方を向き、彼女は当たり前のようにしおりを挟んで本を閉じた。
 は話しかけるといつもそうしてくれることを、シリウスは知っている。その何気ない動作が、シリウスには嬉しかった。彼女がちゃんと話を聞いてくれるのだとひと目でわかるからだ。

「明日、ハロウィーンだな」

 何でもない会話をするように、シリウスはそう言った。の視線が少し心配そうにシリウスを捕らえ、彼女が自分たちがまた何かするのではないかと思っているのだろうと予想できた。
 もっとも、がそう思うのは無理も無いことだ。シリウスたちは毎年ハロウィーンになると1年で1番派手と言ってもいいような悪戯をしでかしていたし、今年だって計画書を没収されるまではそのつもりだったから。

「今年は何もしないんだ」

 が何か言う前に、シリウスはそう告げた。

「計画書を没収された上に燃やされたからな」
「作り直さなかったの?」
「期待していたのか?」

 悪戯っぽくシリウスが笑うと、「そうじゃないわ」とは困ったように言った。

「ただ、いつものブラックくんたちならそうするかなと思ったから……」
「そうだな」

 シリウスはの銀色の瞳を見つめた。が「もうしないで」と言ったからやめたのだと、そう言ったら、彼女はどんな顔をするだろうか。シリウスは唐突にそれが知りたいと思った。

「あの花火、どうした?」
「えっ?」

 それでもそんなこと聞けるはずが無くて、シリウスは違うことをにたずねていた。

「ゾンコの、新作の花火さ」
「まだしまってあるけど……」

 「どうしたの?」とたずねるようには首を傾げた。銀色の長い髪が、さらりとの肩から零れ落ちていった。

「今日、やらないか? 明日の夜は宴会だし、そんな時間もないだろうけど」
「寮を抜け出すの?」

 は驚いたように目を瞬かせた。きっと自分がよくやる規則破りも、彼女はやったことが無いのだとシリウスは思った。は監督生をやっている彼女の友人に負けず劣らずの真面目な生徒だったから。

「嫌か?」

 でも、きっと彼女は嫌だとは言わないだろう。

「ううん……でも」
「大丈夫。僕がいるだろ」

 困ったようなの手をとり、シリウスは内緒話をするように彼女に顔を近づけた。の銀色の瞳に自分の姿が映っているのが、いつもよりよく見える。

「エバンズたちが寝たら、こっそり談話室に下りてきてくれ。温かい格好をして。待ってるから」
「うん」

 はまだ少し戸惑っていた。それでも頷いてくれた彼女に花火を忘れないよう付け足して、シリウスは立ち上がった。

「もう戻ろう。そろそろ夕食の時間だから」

 いつの間にか太陽はすっかり沈んでしまっていて、ホグワーツを心地よい夜の闇が包んでいた。図書館からの帰り道、2人はその秘密の約束を隠すようにひと言の会話もしなかった。

 夜更けの談話室は、昼間が信じられないくらい静まり返っている。消えかかった暖炉の火がパチンとはぜ、シリウスは黙ってそれを見つめていた。寮に戻ってからはそれぞれの友人たちと過ごし、シリウスはとあれからひと言も話していなかった。
 夕食の時に少し垣間見たはいつも通りリリーやルナと何か楽しそうにお喋りをしながら夕食をとっていた。は談話室に来てくれるだろうかと、シリウスはほんの少し不安だった。

「ブラックくん……?」

 控えめにかけられた声に、シリウスはハッと振り返った。不安そうな面持ちのが女子寮の階段を下りたところで佇んでいた。出かけられるように上着を着て、あの日買った花火の袋と杖をしっかりとその手に握っている。

「ばれなかったか?」

 が来てくれた安心感は胸に押し込め、シリウスは静かにそうたずねた。は小さく頷いた。

「よし、じゃあ花火はポケットにしまっておいた方がいい。杖は持っていて……」

 シリウスはジェームズから借りた「透明マント」と「忍びの地図」を取り出しながら言った。

「それって、『透明マント』? 本物の?」
「あぁ、ジェームズのなんだ」

 「はじめて見た……」は感心したように呟いて、「透明マント」をマジマジと見つめた。シリウスはベルトに挟んであった自分の杖で「地図」を呼び出し、再びベルトに杖を挟んだ。

「2人でマントを着ていくんだ。、僕は『地図』を持たないといけないから、灯を点けておいてくれないか?」
「地図?」

 首を傾げるに笑顔で誤魔化して、シリウスは頭からすっぽりとマントを被り、を中に入れてあげた。はごく自然に、呪文も唱えずに杖先の灯を点けてくれた。
 が「透明マント」に驚いたように、シリウスはが自然に「無言呪文」を使えていることに驚いた。シリウスも多少はできるが、6年生になって習い始めたことだったし、普通の生徒はまだほとんどできてはいない。

 意外だな……。

 は素晴らしく優秀だという印象が無い。もちろん実際は優秀なのだろうが、リリーの傍にいるからだろうか?

 談話室を静かに抜け、管理人を避けながら校内を進み、シリウスはを校庭に誘導した。そのまま真っ直ぐ森の中に入り、迷うことなく目的の場所に進んだ。

 森の木々に囲まれた空間に、小さな泉が湧いていた。ジェームズたちとの夜の散歩で見つけたそこはシリウスのお気に入りの場所だった。危険な生き物は何故かめったに近づいてこない、静かな森の一角。シリウスはマントをはずし、地図と一緒に上着のポケットに突っ込んだ。

「この辺りは安全なんだ」

 不安そうに辺りを見回すに、シリウスは少し肩を竦めてそう言った。

「ケンタウロスが時々通るくらいさ」
「どうして知ってるの?」
「ジェームズたちと何度か来たことがあるから」

 何か言いたそうなの視線を振り払い、シリウスは自分の花火を取り出した。それから杖も。ほんの少しそれに細工をし、シリウスは花火に火をつけて、滾々と湧き出る水の上にそれを放った。
 花火は沈むことも消えることもせず、パチパチと泉の上でその光を放っていた。店で見たように、時々ふっとその光を消し、また爆ぜるように光を放つ。「綺麗……」とが呟いた。

「どうやったの?」
「企業秘密さ。のも貸して」

 はためらうことなく花火をシリウスに手渡した。シリウスはそれに同じように魔法をかけ、火をつけて放るようにに返してやった。控えめな放物線を描いて泉の上に落ちたの花火も、先に光を放っていたシリウスの花火と同じように光を放つ。

 水面に火の粉が反射し、星空がもう1つできたようだった。シリウスとは泉の辺に座って、その光景を見つめていた。

「もっとすごい花火を君に見せたかったんだけど……」

 ぽつりと、シリウスは言った。花火を見つめていたの銀色の瞳が不思議そうにシリウスに向けられた。

「あの計画書さ。グリフィスに燃やされた……」
「わたし……」

 視線を花火に戻し、は少し俯いた。

「この方が、いいな……ブラックくんとこうして一緒に花火を見られるほうが……」

 ホグズミードに行った日のように、胸の奥がざわめくのをシリウスは感じた。

「もしハロウィーンに花火をやったとして、その花火がどんなに素晴らしくても、悪戯は悪戯だから……ブラックくんたちは罰を受けることになるでしょう? わたし、嫌だもの……みんなを楽しませてくれただけで、ブラックくんたちが、罰を受けることになるなんて」

 の銀色の髪が、彼女の耳からさらりとこぼれた。一瞬、が泣いているような気がして、シリウスは思わず彼女の肩に腕を伸ばしていた。

「ブラックくん?」

 驚いたように、が顔を上げても、シリウスはその腕をどかすことができない。の肩はひどく細くて、儚げだった。

「明日の宴会も、こうして一緒にいようか?」

 シリウスはたずねた。から視線を逸らしながら。彼女は不思議そうな視線を自分に向けているのだろうと、どこか冷静に思っていた。

「うん……」

 小さく頷いた彼女をそっと見やれば、泉に浮いた花火の光が彼女の銀色の髪に反射して、眩くも美しかった。

 

 それはつい、昨晩のことだったのに。

 シリウスは愕然と、目の前に広がる銀色を見つめていた。

back/close/next