医務室の扉が大きな音を立てて開かれ、シリウスたちは驚いて振り返った。何故かひどく慌てた様子のピーターが、肩で息をしながら立っていた。
「どうしたんだい? ワームテール」
「た、大変なんだ!」
声をかけてきたリーマスから、ジェームズ、シリウスに視線を移し、ピーターは言った。
「僕、聞いたんだ!」
「何を?」
「女の子たちが廊下で話してて……その、パッドフットがやった事件のことと、今度の火傷の事件のこと……」
「犯人が、だって……」ピーターの言葉をシリウスは思わず聞き返した。
「何?」
「う、噂してたんだ。噂だよ」
さすがにまずいと思い、ピーターはジェームズに助けを求めるように視線を向けた。
「確かめてくるよ」
素早くそう言ったジェームズの言葉には、しかし、誰にもうむを言わせない雰囲気があった。
「僕が。パッドフット、君は大人しくしてるんだ。入院中なんだしそれに――」
「わかってるさ」
シリウスは憮然と答えた。自分がまた何かしでかすのではないかと、この親友が警戒しているのは明白だった。しかし、シリウスはそんな愚かな真似をする気は毛頭なかった。
かと言って、何も気にならないといったら嘘になる。本当なら今すぐ医務室を飛び出して、噂を一々訂正したい気分だ。自分がやったことなのだと……よりにもよってが犯人扱いされるなんて!
「絶対だぞ」
念を押すようにもう1度言った後、ジェームズは風のように医務室を飛び出していった。
「僕らも行ってくるよ」
リーマスは静かにシリウスを見た。
「ムーニー、」
「がその噂のことを知っているかも気になる、だろう? わかってるさ」
「頼むよ」
リーマスは頷き、ピーターを連れて医務室を出て行った。
シリウス以外に誰もいなくなった医務室は、シリウスを思考の渦に陥れるくらい静まり返ってしまった。考え出すと止まらない。どうして彼女が理不尽にも犯人だといわれているのだろうか。答えは明白だ。襲われたのが、みんな彼女をいじめていた奴らだったからだ。自分のことはきっとその延長でまとめられているだけだろう。
のためにやったことだった。それが、こんな風に彼女に跳ね返ってくることになるなんて……このせいで、が傷付いていたらと思うとシリウスは耐えられなかった。
事務室から戻ってきたマダム・ポンフリーの様子を伺いながら、シリウスは頭から布団を被った。暗闇に閉じこもってしまいたかった。
すっかり、遅かった。
僕としたことが……と、ジェームズは心の中で地団駄を踏んだ。ピーターが耳にした噂は、もうすっかりホグワーツ中に広がっていたのだ。そうでなければ……まだ一部だったら、何とかもみ消そうと思っていたのに。
はこのことを知っているのだろうか? ジェームズは彼女を捜そうと思ったが、談話室にいなければ、他に彼女がいる場所をあまり知らない。図書館にだっていなかった。の2人の親友の姿も無い。
もうすぐ夕飯だから、もしかしたら大広間に行ってしまったのだろうか? イライラと頭をかき、ジェームズは足を大広間の方に向けた。リーマスとピーターはどうしただろう? まだ医務室だろうか?
大広間は夕食を食べに来た生徒ですでにいっぱいだった。グリフィンドールのテーブルの端から端までをざっと見渡したジェームズは、よく見知った銀色がまだその中にないことに気づいた。ここにはいない。それならはどこにいるのだろうか?
「プロングズ!」
長いテーブルの真ん中辺りにリーマスとピーターの姿を確認したジェームズは、生徒の間をうまく泳ぎ、2人のもとに合流した。
「噂はすっかり出回ってるみたいだ」
ジェームズは言った。
「2人とも、を見かけなかったかい?」
「いや―― 僕らも捜してたんだ。夕食の時間だし、どこかですれ違ってしまったのかもしれない……」
そう言うリーマスの視線が、確認するように大広間の入り口を見たのに、ジェームズは気がついた。しかし、まだそこにはの姿も、彼女の親友たちの姿も無かった。
「ねぇ、2人とも……」
急に声を潜め、ピーターが2人のローブの袖を引いた。
「何だい?」
「あの辺に座ってる子たちが噂のこと話してるよ」
ハッフルパフの女子生徒が不安そうな面持ちで額をくっつけあい、何かひそひそ話している。耳をすませてその端々を聞けば、確かにそれは今まで起きた事件のことと、その犯人がらしいという内容だった。
「どうするの?」
「1人1人に説明していくなんて無理だ。ホグワーツには大勢の生徒がいるんだから。それに、みんながみんな噂を知っていて、それを信じているかなんてわからない。余計なことをしたら、不審に思うヤツが増えるだけだ」
「プロングズ」
リーマスが素早くジェームズのあだ名を呼んだのと、大広間が波を打ったように静まり返ったのはほとんど同時のことだった。
大広間の入り口にと、彼女の友人たちが何だかよくわからないとでも言いたいような顔で立っている。その周りの関係ない生徒ですら、その状況に戸惑っていた。
元から大広間にいた生徒は各々の表情でその入り口を見つめ、そして傍にいる友人たちと何か耳元でささやきあっていた。嫌な空気だ。ジェームズは、思った。
静寂を破ったのは、どこのテーブルからの声だったかわからない。しかし、それはひどく冷たい響きを持って、に投げつけられた。
「どうしてのうのうとそんな所に立っていられるのかしら?」
ジェームズはほとんど条件反射のように、立ち竦むのほうへ走り出していた。その背中は、に対して次々と向けられる氷のような声を受け止めていた。
「まだ退学になっていないなんて!」「先生たちは何をしてるんだ?」「被害者ぶってれば何でも許されると思っているのよ」「優しくしてあげてたシリウスにまであんなことするなんて」「最低な女」「闇の陣営に心酔しているに違いない」「ホグワーツから出て行け! ―― ……」
の銀色の瞳は、ただ真っ直ぐにその様子を見つめていた。ジェームズは彼女が傷付いているのがわかった。しかし、それ以外の感情も、確かにその瞳には存在している。
唇を噛み締め、苦痛に耐えている表情で……その両手は隣にいる親友たちを必死で制していた。
「!」
ピーターが真っ青な顔で、しかし、心配そうな声でに駆け寄るのを見ながら、ジェームズは大広間のあちこちから投げつけられている氷の声に対して、カッと頭に血が上るのを感じた。
誰もが真実を知らず、その一部の人間は、噂を真実だと思い込むことで元々異質に感じていた彼女を排除しようとしているのだ。許せなかった。ジェームズにとって、は友達だ。それに、親友の、大切な人だった。それを傷つけることを、許すわけにはいかなかった。
「やめて」
グッと、ローブの袖が引かれる感覚に、ジェームズは驚きで目を見張った。声の主は間違いなくだ。どうして……喉元まできた言葉を、ジェームズは吐き出すことなくを凝視した。
は、何も言わなかった。しかし、その強い視線に、ジェームズは言葉を奪い取られてしまうのを感じた。どうして止めるのかわからない。自分はただ、傷つけられている彼女を助けたいだけだ。それなのに、何故、傷つけられている彼女自身がそれを止めるのか……。
「何も言わないで」
「でも」
絞り出した声は、掠れていた。
「駄目だ!」
それと正反対の吼えるような声が、大広間の扉が開かれる大きな音と共に、響いた。