第七章
の秘密

 ホグワーツ城を作る冷たい石が廊下を照らすランプの赤い炎を反射して、鈍く光りを放っていた。チラチラと揺れるそれは、まるで目の前の彼女の内心を表しているようだった。
 リリー・エバンズは腕を組み、シリウスを真っ直ぐ睨みつけていた。話があると人けのない廊下で突然呼び止められたとき、シリウスはリリーと、彼女の後ろに立つルナが自分に声をかけるタイミングをはかっていたのだろうと察した。そんな彼女たちからほんの少し視線をはずし、次に言われる言葉を頭の中で予想した。十中八九、のことだ。

の元気がないの」
「何で僕に言うんだ」
「あの子が落ち込む時は、大体あなたが原因だからよ。ブラック」

 きっぱりとリリーが言う。シリウスは少し視線を上げ、リリーの明るいグリーンの瞳を見た。彼女は怒っているというより、呆れているようだった。

「一体今度は何をしたの?」
「何も」

 何もしていない。ただ、悩んでいるのだ。そのことにきっと、は気づいている。

「あの日―― 校長室で何を話したの?」

 黙ってリリーの少し後ろに立っていたルナが不意にたずねた。あの日―― 確かめるまでもなく、が人間でないことを知ったあの日のことだ。

「もしかして……のことじゃない?」

 ルナとリリーはチラリと視線を交わした。

が、人間じゃないってシリウスも知ったんでしょう?」
「知ってたのか!?」

 眉を顰め、シリウスは勢いよく2人に詰め寄った。リリーもルナも怯むことなく頷き、シリウスを真っ直ぐに見返していた。知っていたのだ。が話したのだろうか? 2人が、親友だから?

「そのことで、が傷付くようなことを言ったんじゃないでしょうね?」
「そんなこと……! 言うわけないだろ」
「じゃあ、迷ってるの?」

 ルナはよく核心を突く。ルナのそういうところが以前からシリウスは苦手だった。

「そうだよ」

 イライラと、シリウスは答えた。

「普通戸惑うだろ? 急に……こんな……」
「あなたたちがルーピンに対してそうだったとは思えないけど」

 「何だって?」ギョッとして、シリウスは2人を見た。今、リーマスのことを言った?

「ちょっと考えれば、気づくよ。でも安心して。誰にも言ってないから」
「あなたがルーピンの正体を知ったときはどうだったの? ちゃんと受け入れたから、今でも友達なんでしょう?」
「リーマスのときは、あいつが僕らに言う前に僕らが気づいたんだ。今度のこととは、違う……!」
「違わないよ」

 きっぱりとルナは言った。

「シリウスはただ、そう思いたいだけなんだよ。ルーピンのこととは違うって思って、のことを受け入れるのを拒否してる。現実から逃げてる」

 押し黙って、シリウスは視線を逸らした。逃げ? そうなのだろうか。

「ねぇ、突然あんなこと知って戸惑うのはわかるわ。でも、だからって何をそんなに悩む必要があるの? 何者であっても、じゃない。正体が知られてから、あの子があなたに対して何か態度を変えたわけじゃないでしょう?」
「それは……」
「わたしたちだって、最初は戸惑ったわ。距離を置いた方がいいのかとか、考えたこともある。でも、がそんなわたしたちに気を遣うのを見て、それが悲しくて、気づいたの。の正体が何でも、あの子がわたしたちの親友だってことに変わりはないんだって」

 言われなくたってわかってるさ! シリウスは思った。でも割り切れないことだってあるのだ。だけど、

「考えを押し付けるなよ!」

 つづける言葉が見つからなくて、シリウスは堪らずそう叫んだ。

「自分たちがそうだったからって、僕までそうだとは限らないだろう!」

 押し黙ったリリーとルナから視線を外し、シリウスはぐっと唇を噛みしめた。もう放っておいてほしい。1人で考えたいのだ。

「行こう、リリー」

 しばらくして、ルナが静かにそう言ったのが聞こえた。2人分の足音が、シリウスから遠ざかっていく。

「ねぇ、シリウス」

 去り際のルナの言葉が、シリウスの胸に深く深く食い込んだ。

「そんなことで揺らぐくらいの気持ちだったの? シリウスの、に対する気持ちって」

 そんなわけないじゃないか。

「だけど僕にどうしろって言うんだ……」

 誰に言うでもない呟きが、冷たい石に吸い込まれていく。どうしたらいいのか、わからないのに。ただ1つ言えることは、それでも好きなのだと、に告げる自信がないということだけだった。

 きっともそのことに気付いたのだろう。一緒にいてもどこかぎこちない彼女の様子に、シリウスはそれを察した。救いなのはから距離を置くことを告げられないことだった。少なくともシリウスは、ぎこちなくてもの傍にいたかった。そしてそのたびに、自分はまだのことが好きなのだと思う。

 自信がないだけで……

 ベッドに寝転び、ぼんやりと見上げた天井は、いつもと何も変わらないはずなのにシリウスの上に圧し掛かってくるかのようだった。

「最近おかしいね」

 隣のベッドで横向きに寝そべり、どこかから拝借してきたスニッチで遊んでいたジェームズがちらりとシリウスを見て、言った。

「悩みごとかい?」
「別に」

 その視線から逃げるように、シリウスはジェームズに背を向けながら答えた。ジェームズがいくら親友でも、話せることと話せないことがある。

「当ててあげようか? のことだろ?」
「ほっといてくれよ」
「君は本当にわかりやすいな」

 からかうような口調のジェームズにいら立ちながらも、シリウスは決して彼のほうを見ようとはしなかった。どうせ口調と同じような顔をしているに決まっているのだ。こっちは真剣なのに!

「告白の返事がいまだ覆されないのかい? もう1度告白してみれば?」
「それができたら苦労しないさ」
「どうして?」

 どうして、だって? そもそも自分のに対する気持ちのことで悩んでいるのだ。もう1度告白なんてできるわけなかった。

「パッドフット、君が何をそんなにうだうだ悩んでいるのかは知らないけど」

 どこか真摯な、しかし呆れを含んだ口ぶりでジェームズは言った。

「今どんなに悩んだって結局君はのことが好きなんだから、いっそ当たって砕けたほうがすっきりするんじゃないのかい?」
「どうしてそう言い切れるんだ」
「そうじゃなかったら君のこの6年間は何だったんだ?」

 6年間―― 頭の中が大きく揺れた。

「ずっと好きだったんだろ」

 きっとそうだった。でも、それは……頭の中で言い訳をしようとして、シリウスはふと、何か引っかかるものを感じた。それが何か、わからなかった。

 わかればきっと、この悩みもなくなる気がするのに。

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